奇蹟がくれた数式。

インドは時として突拍子もない天才を生み出す国であるが、32歳という若さで死んだラマヌジャンもその一人である。

『奇蹟がくれた数式』、監督・脚本はマシュー・ブラウン。実話に基づいた物語である。
1914年、ケンブリッジ大学教授の数学者・ハーディの許に一通の手紙が届く。差出人はインドの無名の青年・ラマヌジャン。貧しく、学歴もなく、母親と結婚したばかりの嫁さんと3人で暮らしている若い男である。
しかし、ラマヌジャンからの手紙を開封したケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの教授・ハーディは吃驚する。とてつもない数学の定理が記されていた故。数学の世界、ひっくり返る、というようなものであるらしい。とてつもない天才だ、と。
で、ケンブリッジ教授のハーディ(忘れてはいけない。このハーディなるケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ教授も天才、世界的な数学者である)、ラマヌジャンをケンブリッジに招聘する。ラマヌジャンは喜ぶ。自らの数学が世界で認められる、と。
イギリスへ行くことに反対する母親を説き伏せ、別れを嘆く妻には必ず呼び寄せるからと言い、ラマヌジャンはケンブリッジへ旅立つ。
ハーディとラマヌジャン、身分も国籍も違うまったく正反対の天才数学者が出会う。
実は、ハーディ自身も天才の常、気難しい男なんだ。ラマヌジャンにいたっては、「この定理はどこから導き出されたのか?」、という問いに、「閃いたのです」、なんて答える。世界を揺るがす定理も論理的に導き出されるのではなく閃き、直感で現れるらしい、天才には。
だから、ハーディとラマヌジャンの二人の天才、ぶつかりイライラもする。さらに・・・
この時代、第一次世界大戦が始まる。それ以前にこの時代のインド、イギリスの植民地である。ラマヌジャン、この黒いヤツめと言って殴られもする。
しかし、ハーディはラマヌジャンのため力をそそぐ。初めのうちは拒絶されていたラマヌジャンのケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのフェローの地位をも認めさせる。頑迷なイギリス人学者たちに。
何ごとによらず他者の才能を見いだすというのは、とても面白い。ラマヌジャンほどの天才を見いだしたハーディ、その喜びたるやいかばかり、と思う。

主人公ラマヌジャンに扮するのは、デヴ・パテル。『スラムドッグ$ミリオネア』でブレイクしたが、暫らく前に記した『マリーゴールド・ホテル』の若きオーナー(役の上ですよ)でもある。まだ若いが、売れっ子だ。
ラマヌジャンを世に出すハーディに扮するのは、『リスボンに誘われて』の渋い男・ジェレミー・アイアンズ。『リスボンに誘われて』ではスイス、ベルンの古典文献学の教師をやっていたが、本作ではケンブリッジの教授。いずれにせよ、そのような知的な役がよく似合う。

音符もそう言えるが、数式もアートと言える。

インドの光景も出てくる。
得も言えずいい。美しい。

ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジでのハーディとラマヌジャン。

ハーディには小男のリトルウッドという強い仲間もいた(左)。
ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの教授連中にラマヌジャンの凄さを語るハーディ(右)。
いずれにせよ、ラマヌジャンは病を得、インドへ帰る。1年後には戻る、と語り。ラマヌジャン、結核に侵されていた。20世紀初めの結核である。死の病であった。
ラマヌジャンも32歳で死ぬ。
が、ラマヌジャンの数式、今でもさまざまな分野で役立っているそうだ。