ビリギャル。

函館、東京、大阪とさまざまな若者たちを追ってきた。何とも味のあるカスミとポチ男の大阪以外は、やるせない若者たちが多かった。
しかし、元気印の女の子が名古屋にいた。

4月初めの頃、近所のシネコンにはこういう大きなものが幾つも立っていた。

こういうスタンディーも。
『ビリギャル』である。公開は5月1日。
早く5月が来ないかな、と思っていた。

5月になった。
近所のシネコンにはこういう看板が出ていた。
『ビリギャル』、原作は名古屋の塾の先生・坪田信貴の著『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』。65万部を売ったという大ベストセラー。
脚本:橋本裕志、監督:土井裕泰。主演のビリギャルに扮するのは有村架純、塾の先生に扮するのは伊藤淳史。

このようなポスターも。
ここではブレザーを着ているが、高校2年の夏、塾へ来た時の「ビリギャル」は、金髪に厚化粧、ヘソ出しに超ミニスカ。偏差値は30。塾でテストをしたら、その学力は小学校4年程度である。何しろ中学へ入ってからは、勉強をしたことがないって言うんだ。だから、学年ビリなんだ。
その女の子が偏差値を40上げて慶應へ現役で合格する。その女の子の名は「さやか」。実話だそうだ。

塾に入った頃は、「聖徳太子」のことを「せいとくたこ」と読み、「太った女の子なんだ」と言う。「名古屋の三英傑は」と問われ、「ええケツって、下ネタかよ」、と答える。
その「慶應などゼッタイ無理、冗談にもホドがある」という女の子、小学校4年レベルから5年レベル、6年レベルとなり、中学校のレベルもクリアし、高校1年、2年と追いつき、大学受験レベルへと達する。そして慶應へ現役合格となる。

『ビリギャル』、やればできる、ファイト、ファイト、ガンバリズムの根性物、ということもできる。
そうではあるのだが、身につまされる。
泣けた。
実は私、高校を出る時のクラスの席次、52/53であった。ビリから2番目である。が、恐らく誰か長期欠席者がいたのであろう、と思っている。だから、今でも「オレが実質はビリ」、と思っている。
高校は、滅多なことでは落第はさせないが、ひょっとしたら卒業できないかもしれないな、と心配した。担任の教師との折り合い、ことごとく悪かった。
しかし、その担任の教師、その体内に幾ばくかの情ある血液は流れていたのであろう、ことごとく折り合いの悪い私を卒業させてくれた。碌でもない私を。学校などから逃げたかった私は、ありがたかった。
高校を出て東京へ出てきた私は、すぐに結核の療養所へ入った。1年有余の結核療養所での生活、来る日も来る日もベッドの上で花札を引いていた。が、それが私の学校であった。
翌年の夏、「お前、退院してもいいよ」、となった。
退院した私、どこかの大学へ入ろうか、と考え近場の予備校へ行った。約半年、結核上がり故、ビリギャルほどではないが受験勉強をし、慶應ではない大学へ入った。
だから、この物語、身につまされるんだ。泣けてくるんだ。

中央の人は、ビリギャルを育てた名古屋の塾の先生。
そのすぐ右上は、ビリギャルのお母ちゃん。パートをしながらビリギャルを守る。すぐ左上の男は、ビリギャルのお父ちゃんだ。自らの挫折を胸に息子をプロ野球の選手に、と考えているが、その夢は飛びさる。思いの範疇の外であった娘のことにも思い至るようになる。
『ビリギャル』、頑張って慶應へ入った根性物語ではない。お母ちゃんとお父ちゃん、そして子供たち、家族のハートウォーミングな物語である。
泣けた。
泣いた。


シンガポールでのアジア安保会議、中国が南シナ海での埋め立て続行を表明、軍事目的も認めた。
とんでもない強硬姿勢である。
ベトナムやフィリピンが対応できる問題ではない。アメリカがどう出るか。米中決戦は共に望んではいない。
が、幾ばくかのドンパチ、あり得るのではないか。