生きながらえる。

「どうしてもっと早く来ないんだ。肺炎だ。それも進んでいる」、医者に怒鳴られた。
「年寄りなんだぞ。あと少し遅れたら、年寄りの肺炎は死んじゃうぞ」、ともおどされた。先々週の土曜の午前中。風邪や腹具合の悪い時に行く町医者の先生。点滴と抗生剤を処方してもらい、「月曜にまた来い」、となった。
月曜に行くと、急遽入院となった。その日の午後、医者が探してくれた病院へ入院した。
10日間入院した。午前6時、昼12時、夕刻6時、夜中12時、毎日6時間毎、1日4回の点滴による抗生剤治療を続けて菌をやっつけた。
今まで何度か入院している。
若い頃、高校を出てすぐと大学時代の2回、通算3年に近い結核病院への入院、胃がんで2/3を摘出した入院、エジプトから帰ってきたら下痢がひどくなりいきなり1週間少し入れられた入院、その他1週間程度の入院は7、8回ほどしている。
しかし、今回の入院はそれらとはまったく異なるものであった。

この地域では大きな病院で、私が入っていた6階のフロアーは周りにグルッと病室が取り囲んでいる。4人部屋が15、6か20近くあったであろうか。いずれにしろ6、70人かもう少しの患者がいたと思われる。
点滴が終わった後など廊下に出ると驚く。
70代、80代、さらにはそれ以上と思われる患者ばかり。唯一30代半ばと思われる身体のガッシリとした男がおり一度話したが、彼は彼で入っている理由があった。
しかし、入院患者は年寄りばかり。私もその一員ではあるのだが、枯れ果て何日か後にはカサコソって砕けていってしまうのでは、と思われる人も何人もいる。
ナースステーションの前で車椅子に座り、1日の大部分をただ何もしないで(看護婦と話もしない)前を向いて座っている患者の皆さまにも驚いた。
皆さん、病気が治ったら、手術で悪いところを切除すれば退院、というのとはややニュアンスを異にする。
生きている。そうではあるのだが、生きながらえている。そう言うのが、おそらく正しいのではあるまいか。
高齢化社会に突入している日本の裏面、いや現実を見た思いがする。

カミさんが運んできた孫娘の手紙をベッドの横に貼っていた。

点滴の間中、眺めていた。

退院の日の朝、午前6時すぎ、6階の窓から下を見る。この時間でも駅へ急ぐ人がいる。
世間、世の中は動いている。
私は歳を重ねたようだ。
点滴漏れが2度ほどあったが、よく分からなかった。「痛かったでしょう」、と看護婦に言われたがさほど痛くはなかった。以前ならば点滴漏れはとても痛かったのだが。鈍くなった。
そう言えば、血管へ針を刺すのに苦労する場合がある。ヘタな看護婦だと上手くいかず血管を縫う状況になる。今回も一度だけそうなった。しかし、血管を縫われてもさほど痛みを感じなかった。
鈍くなったようだ。


この間、ドナルド・トランプのアジア歴訪があった。
トランプ、日本と韓国に巨額の兵器を買わせ、中國の習近平は誉め殺し、28兆円というとんでもない額のお土産を持たされご満悦の模様。
ドナルド・トランプ、アメリカの大統領には違いないが、何から何まで世界のリーダーには程遠い。
困った男である。


今日、大相撲九州場所初日。
稀勢の里、ほんとに出ていいのかよ、と思っていたことが現実となった。

稀勢の里、敗れる。
立会い、3度あわず、4度目に立つ。が、相撲勘は戻っておらず。
これでは明日以降もはなはだ心許なし。
今からでも遅くはない。今場所、休場したほうがいい。
稀勢の里、どうも自己管理の何たるかが分かっていない様子。
稀勢、しっかりしてくれ。

九州場所初日、今日の星取。
何のかのと言って、行きつく先はやはり白鵬か。