早稲田のなかの韓国美術。

秋艸道人・會津八一(1881〜1956)は、東洋美術史の研究者として、また、歌人、書家としても知られる。
早稲田在学中は、坪内逍遥のもとで英文学を学び、卒業後は美術史学を研究、母校・早稲田で東洋美術史を講じた。

早稲田教授の頃の會津八一の書≪学規≫。
     一 ふかくこの生を愛すへし
     一 かへりみて己を知るへし
     一 学藝を以って性を養ふへし
     一 日々新面目あるへし
              秋艸道人
會津八一、美術史の研究と教育には、作品と直に接する「実学」が必要だと考えた。私財を投じて東洋美術の諸々を集める。その数、約4000点。これが會津八一コレクションであり、現在の會津八一記念博物館収蔵品のひとつの柱となっている。
その後、富岡重憲コレクション、内山コレクション、延原コレクション、服部コレクション、小野コレクション、安藤更生コレクションなどの寄贈を受け、現在の所蔵数約2万点、と會津八一記念博物館のパンフにある。
館内には、大隈記念室がある。
「大隈重信総長緋のガウン」がある。大隈記念室のパンフから複写する。

これである。深い緋色のベルベットのガウン、存在感がある。
明治22年(1889年)、当時外相の大隈重信が、玄洋社の来島恒喜から爆弾を投げられ右足を失った時に着ていた「血染めの外套」もある。大隈重信に関するさまざまな資料が展示されている。
2階には常設展示室。
會津八一コレクション、日本近現代の絵画作品(前田青邨の大きな作品、≪羅馬使節≫が公開されていた。素晴らしい作品)、考古資料、土佐林コレクションのアイヌ民族資料などなど。何度か来ているが、面白い。

會津八一記念博物館入口。

常設展の他、幾つもの展示が催されている。
「市島春城と画人たちとのかかわり」とか「異文化の交差展」とか、と。
企画展は、「早稲田のなかの韓国美術」。

「早稲田のなかの韓国美術」、大きく3つに分類されている。「愛でる美術」、「護る美術」、「祈る美術」、と。
會津八一コレクション、富岡重憲コレクション、池部政次コレクション、その他で構成されている。白磁の大壺や、伝金庚信墓護石十二支拓本や、朝鮮時代の木造如来坐像など。
「早稲田大学内の韓国石像物を探そう!」、なんてことに繋げている。
あちこちにあるようだが、會津八一記念博物館のすぐ側にも幾つかある。

石人像があった。

これも石人像。

済州童子像。
朝鮮後期(19世紀の初中期)。済州島の墓に建てられた男の子の石像。

これも會津八一記念博物館の裏の方にあった「石羊」。

「石羊」、このような由来がある。
前出の「済州童子像」他も、高麗大学校友会会長の千信一氏からの寄贈である、という。
日韓、なにがヘイトか、どこがヘイトか、と思うな。
秋艸道人・會津八一の心を心としたいものである。