クラス会。

幹事からの連絡では、3時50分に新宿の小田急改札前に集合、となっている。4時すぎのロマンスカーで箱根湯本へ。
6時頃、駅近くの吉池旅館へ入る。すぐ大きな温泉に入り、7時から宴会、いや、クラス会が始まる。
54年前の早稲田、入学した学部では第一外語でクラス分けをしていた。おそらく、50人ぐらいがいたのであろう。50数年経ち、1割ほどの人が死んだ。また、連絡のとれない人もいる。今、54年前のクラスの8割ぐらいの人が残っていることになる。その中、ホームカミングデーに来た人は、20数人いたようだ。
その中、箱根湯本でのクラス会に参加したのは17人。北は北海道から南は沖縄まで、その参加率は高い。これにはワケがある。ズーと幹事役を引き受けているのがいる故である。だから、その他の連中、彼らにおんぶにだっこ。私も。
いずれも70を超えたジジババ、17人であるが舞台のついた部屋(休日前ならば、その5〜6倍の人で埋まるであろう)で宴会、いや、クラス会を始めた。死んだことをまったく知らなかった男の名も出た。アイツかー。
二次会は、持ち込んだ酒とつまみで、最も広い部屋で。
誰それの引っ越しの時、要らなくなったものをバンバン川へ投げ入れた、なんてことも出てきた。まったく何てことをしていたんだろう、私たちっていうことも。
来年のクラス会は、沖縄でやることとなった。沖縄から出てきた大城将保が仕切ることに。大城将保、先島諸島、日本最西端の与那国島へ行こう、と話していた。これは面白い。
二次会もお開きとなり、皆さんそれぞれの部屋へ戻った。
しかし何たること、皆さん朝が早い。まだ暗いうちに温泉へ入りに行く連中、布団の横で太極拳を始める男、これが我がクラス会。
私は、まず露天風呂へ入り、朝飯の場へ。出ている料理、私には多すぎる。半分ばかりは手つかず、とする。
朝食後、庭へ出る。
その庭、旧岩崎家別邸の約1万坪。回遊式庭園。

←山月園、→山荘庭園、との標識がある。

山月園、三菱財閥二代目当主・岩崎弥之助の別邸。
正面の建物がそう。その右には、茶室・真光庵。

明治37年(1904年)に建てられた岩崎邸別邸。木造入母屋の平屋建て。国の有形文化財。
そのすぐ前には、水が流れる。

庭園内に流れる川、須雲川から水を取り入れているそうだ。

錦鯉があちこちにいる。

こちらにも。

山荘庭園への入口。

岩崎別邸の約1万坪の庭、水が廻っている。
その水路は、500メートルほどに及ぶそうである。

このように。

水、そして、鯉。

眼を転じれば、このような灯籠も現れる。

総延長500メートルに及ぶ水の流れ、あちらこちらに続く。
10時前ロビーに集まりコーヒーを飲み、クラス会はお開きとなる。お元気で、また、と。
そのまま帰る人、考古学の専門家に率いられ石仏を見に行く人、もう一晩宴会をするため大涌谷の方へ行く連中。私は久しぶりで箱根美術館へ行く。


なお今ひとつ、”大城将保の「おきなわ百話」”をご紹介したい。
沖縄の歴史を考え続けている大城将保、沖縄のことごとを記している。私たちが知らないことを。そうなのか、といったことも。
”大城将保の「おきなわ百話」"で検索してください。沖縄からの視点、面白い。
是非、ご覧あれ。