ジャージー・ボーイズ。

アメリカ東海岸ニューヨークにウディ・アレンがいれば、西の方ハリウッドにはクリント・イーストウッドがいる。
共に見せる、魅せる。

『ジャージー・ボーイズ』、ブロードウェーのヒット・ミュージカルの映画化。”ジャージー”、つまりニュージャージー出身の4人組の若者の物語。
ニューヨークの中心はマンハッタンである。マンハッタンの東、イースト川を渡れば昨日の書店をたたんだマレーと花屋のバイト・フィオラヴァンテがジゴロ稼業を始めたブルックリン。移民の多い下町だ。東京で言えば隅田川の東の墨田区、江戸川区、葛飾区といった所。
で、マンハッタンの西、ハドソン川を越えた所がニュージャージー。
ニュージャージーにはニューヨークに進出している日系企業の人たちが多く住んでいる。20年ぐらい前になろうか、知り合いの日系企業のアメリカ法人のトップの自宅へ招かれた。ニュージャージーの洒落たコンドミニアムだった。だから、ニュージャージーにもブルックリンと同じく、いわば下町があるとは知らなかった。そのニュージャージー出身の歌が好きな4人の若者の物語である。

1930年生まれ、今年84歳のクリント・イーストウッド、楽しませてくれる。
イーストウッドのここ10年の作品をふり返る。
『人生の特等席』、『J・エドガー』、『ヒアアフター』、『グラン・トリノ』、「硫黄島」2部作、『ミリオンダラー・ベイビー』、『ミスティック・リバー』、素晴らしい作品ばかりである。次回作は、と心待ちにする作家のひとりである。
この新作『ジャージー・ボーイズ』も素晴らしい。
イーストウッド、どうしてこんなに異なるジャンルの映画をこれほどに作るんだ、と思うよ、ホント。

ニュージャージーのブルーカラー出身の若者が成功する道は3つ。軍人になるか、ギャングになるか、スターになるか、ということだそうである。しかし、軍人もギャングも殺される恐れが多分にある。残るはスターだ。
後ろに写っている車は傷だらけ。

”ジャージー・ボーイズ”、「ザ・フォー・シーズンズ」となる。
リード・ヴォーカル、フランキー・ヴァリのファルセットが、今も耳に残る「シェリー」。
50年前、日本でもすぐさまカバーされた。
パラキン、ダニー・飯田とパラダイス・キング。九重佑三子が歌った。
     シェーリー シェリ ベイビー シェーリー
     ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・
     シェーリー さあ出ておいでよー
     ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・
スクリーンを見ながら小声で歌っているジイさん、ずいぶんいた。「シェーリー ・・・・・」、と。私も少し小声で「シェーリー
 ・・・・・」、と口をついた。

ヴォーカル・グループであれバンドであれ、いつの時代どこの国でも、このようなことはある。
夢があり、共に進む友情があり、裏切りもあり、挫折もある。「ザ・フォー・シーズンズ」も、まさにそのような軌跡を辿る。
クリント・イーストウッド、それを”なんとー”、と言うように紡ぎ出してくれる。
なんて上手いんだ。