杜のアトリエ黎明。
今は夏休みであるが、仕事の第一線を引いた後、近所の小さな大学へ通っている。もちろん、生徒・学生として。
さまざまなジイさん、バアさんと知り合う。皆さん、やる気まんまんだ。
昨日は、近場の授業で一緒であった二人の男とお茶会をした。
努力家で優等生タイプのNさんの日常は、テニスと10年前から始めたピアノのレッスンだそうである。優雅。あと一人・Yさんの日常は忙しい。ブログで見ていると、四六時中ゴルフへ行っている。中学以来という卓球の練習もハンパじゃない。時折り兜町へ行っている。上場を狙う企業の説明会などに。相当な成果を上げているらしい。「バルト海クルーズ、満席で残念だった」、なんて言っている。
昨日昼すぎのお茶会の場は、ここ。杜のアトリエ黎明。
夏休みである。子供たちの作品展が開かれている。
杜のアトリエ黎明の中へ入る。
江戸期、あちこちの地方の町に素封家と言われる家があった。江戸川の河岸のひとつ流山には、秋元家という素封家がいた。
みりんの開発者の一人といわれる秋元家の五代目・秋元三左衛門(宝暦7年(1757年)〜文化10年(1812年))は、本業の一方、双樹と号して俳句をたしなみ、小林一茶と深い親交を持った。
一茶は流山の双樹のもとに生涯で50回以上も訪れている。秋元双樹、一茶のパトロンだったんだ。
その子孫の方々も趣味人が多い。
明治2年に生まれた秋元洒汀は、本業の醸造家は継いだが、文筆家でもあった。日本美術院創設時の岡倉天心や横山大観、菱田春草らの理解者・後援者でもあった。
その秋元洒汀の娘が、秋元松子である。画家であり歌人でもある。趣味人の系譜は引いている。やはり絵描きである亭主の笹岡了一と共に、流山にアトリエを造った。この杜のアトリエ黎明である。
歩を進めると、大きな樹が現われる。
その横手、奥の方には・・・
このようなものが。
こういうものらしい。
小さな校倉、趣きがある。
今、この庭も含めて杜のアトリエ黎明は、秋元家から流山市に寄贈され、流山市が管理している。
アトリエ入口。
小学生の作品展が催されている。
私は、約束の時間よりすこし早く着いた。
入ると、このようなものが目に入る。
しかし、係の人、全体を撮るのはいいが、一つ一つじは撮らないでください、と言う。
で、端の方から全体を撮った。
こちらからも。
小学生諸君の力作を遠くから。
アトリエの外にはテラス席もある。
しかしこの時季、いかにパラソルがあるとは言え、そこに座ることはできない。真上から、カッカとした日の光が照りつけているんだから。