アンディ・ウォーホル展。

1960年代、アメリカの文化が次々に入ってきた。
「これがアメリカ」だ。つまり、「これが世界」だってものがドクドクと流れこんできた。「アメリカ」と「世界」は同義語だったんだ。
60年代前期、現代音楽、前衛音楽の巨匠・ジョン・ケージが来日した。現代舞踊のスーパー・スター、デヴィッド・チュードアを引き連れて。赤坂の草月ホールで公演が持たれた。舞台に現われたジョン・ケージ、洗濯物を干す長い竿竹のようなものをを持ち、それを左右にゆっくりと動かしていた。
これが最先端の現代音楽、これが理解できないヤツはものの理が解からないヤツである、そう思われていた。草月ホールに行ったヤツ、そう思わざるを得ないじゃないか。「オレは解かるよ」、と思わざるを得ないじゃないか。
草月に行っていた連中のほとんどは、そう思っていたと考えるよ、今でも。
美術分野では、ロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズがスターとして入ってきた。ポップ・アートのスーパー・スターとして。
確か64年だったと思う。ラウシェンバーグが来日した。ラウシェンバーグこそ、アメリカン・ポップ・アートのスーパー・スターであった。草月ホールでの公開制作が行なわれた。
その後、ブリジストン美術館で催された東野芳明が主催する討論会で、篠原有司夫・ギューチャンが掲げたものも≪ラウシェンバーグからの手紙≫。ギューチャンの行動、いじらしいじゃないか。世代としては、さほど変わらない。でも、現実の彼我の差は明らか。
ポップ・アート、それを代表する作家はロバート・ラウシェンバーグなんだ。
しかし、ウォーホル展である。
ウォーホルが出てこないじゃないか、という声が出てきそうだな。当然である。
でもそれは、明日とする。


美術館やギャラリーでの展覧会の模様、春以降触れていない。
暫らくそれを続ける。