ポップの王道。

ニューヨークに住んでいた、元郵便局員と元図書館司書の夫婦・ハーブ&ドロシーの、コンテンポラリー・アート(現代美術)のコレクションもなかなかのものであった。自分たちの稼ぎに見合った作品をコツコツと蒐めていた、魅力的なコレクターであった。
やはりニューヨークに住み、コロラド州のアスペンに大きな牧場を持つジョン&キミコのパワーズ夫妻の、ポップ・アートのコレクションも凄い。こちらの夫婦は金持ち。
個人コレクションとしては、世界最大のポップ・アートのコレクション。豪快な感もある。
国立新美術館で催されている「アメリカン・ポップ・アート展」、パワーズ・コレクションからの選りすぐりが200点。

地下鉄乃木坂の改札を出、国立新美術館への通路には、この看板。
アンディ・ウォーホルの≪200個のキャンベル・スープ缶≫と≪キミコ・パワーズ≫。

これも。
ロイ・リキテンスタインの≪鏡の中の少女≫と≪VAROOM!(バーン!、爆発音)≫。

ロイ・リキテンスタインとトム・ウェッセルマンが組んだものもある。

何と言っても、今回の目玉は、これ。
ウォーホルの≪200個のキャンベル・スープ缶≫。
1962年の作。カゼイン、スプレー・ペイント、鉛筆 / 綿布。182.9×254.3cm。
ジャスパー・ジョーンズのアメリカ国旗や数字のシリーズもあった。しかし、ウォーホルのキャンベル・スープ缶は強烈であった。

あと一つの目玉は、これ。
やはり、ウォーホルの≪キミコ・パワーズ≫の9枚組。
1972年の作。アクリリック、シルクスクリーン / 麻布。天地、左右共、約3メートル。

トム・ウェッセルマンの≪グレート・アメリカン・ヌード #50≫。
ブロンドの女性は、街中にあふれる広告ポスターから切りとられたもの。その後ろには、ルノワールやセザンヌの複製画。ラジオもある。
1963年の作。ミクスト・メディア、コラージュ、ラジオも含めアッサンブラージュ / 板。

パワーズ・コレクションの「アメリカン・ポップ・アート展」、ロバート・ラウシェンバーグのコンバイン・ペインティング、ジャスパー・ジョーンズのナンバー・シリーズ、ロイ・リキテンスタインのベンディ・ドット(印刷の網点)を描いた作品も多く掛かっていた。
が、何と言っても存在感があったのは、アンディ・ウォーホル。
その作品ばかりじゃなく、1968年の死の淵からの生還もウォーホルの物語を深めた。この年、ウォーホル、自身のファクトリーで親しい女に撃たれる。至近距離から発射された弾丸は、ウォーホルの内臓を打ち砕く。しかし、ウォーホル、生き返ってくる。
ウォーホルのカリスマ性、弥増した。

ウォーホル、数々の著名人を描いた。
エリザベス・テイラー、ジャクリーヌ・ケネディ、マオ(毛沢東)、エルヴィス・プレスリー、その他大勢の人を。中で、最もよく知られているのは、これ。
≪マリリン≫。1967年のシルクスクリーン。

キミコ・パワーズは、何度も描かれている。
キミコ・パワーズ、日本名は、前田喜美子さん。丁度50年前、1963年にアメリカへ渡ったようだ。そして、夫君と出会い、アメリカン・ドリームを成し遂げ、ジョン&キミコ・パワーズ・コレクションを創りあげた模様。
アメリカへ渡る日本の女性、概ねとてもパワフル。そのような人、他にも知っている。

キャンベル・スープ缶である。
横に20個、縦に10列、合計200個のキャンベル・スープ缶。
本展、キャンベル・ジャパンも協力しており、ミュージアム・ショップには、リアルなキャンベル・スープ缶も売られていた。確か、ひとつ260〜70円であった。

知らなかったが、ポップ・アートの始まりは、イギリスであるそうだ。てっきりアメリカだと思っていたが。
7年前、ケルンの現代美術館へ行った。ポップ・アートの部屋もあった。多くのヨーロッパのポップ・アーティストの作品が並んでいた。聞いたこともない名の作家ばかりであった。
日本人の感覚から言えば、やはりポップ・アートは、アメリカン・ポップに限るんだ。

小林克也の音声ガイド、なかなか良かった。
歯切れよく、簡潔で。

それぞれの数字に、ペン先をタッチすると、音声が流れる。
音声ガイドも進化している。

帰りは、六本木の方へ抜けた。
そこに出ている看板。ウォーホルの”キャンベル・スープ缶”。
ジョン&キミコ・パワーズ・コレクション、ポップの王道を歩んだな。