マンデラ 自由への長い道。

レーニン、スターリン、ヒットラー、チャーチル、ルーズベルト、また、ガンジー、毛沢東、近場ではJFKをあげる人もいよう。その善悪は問わず、20世紀の巨人をあげていくと、このような名が思い浮かぶ。
さらにあと一人、マンデラとなる。
ネルソン・マンデラ、単なる20世紀の巨人というばかりじゃなく、多くの人から尊敬されている巨人である。そのような巨人は、上記の中ではガンジーと双壁。3.11、福島第一原発の事故の後、国へ帰ってしまったが、知り合いにとてもインテレクチュアルな白人女性がいた。彼女が敬愛するアイコンもネルソン・マンデラであった。
ネルソン・マンデラ、黒人ばかりでなく白人からも慕われていた。

『マンデラ 自由への長い道』。
監督は、ジャスティン・チャドウィック。マンデラの自伝を基に、ダーバン生まれのインド系南アフリカ人・アナント・シンがプロデュースした。

たしかに、長い道のりである。
1918年生まれのネルソン・マンデラ、弁護士となり黒人の権利を求めるANC(アフリカ民族会議)の活動家となる。
若い頃のネルソン・マンデラ、次々と女の子に手を出すなななかのプレイボーイであることが、面白い。女の子にモテるには、何よりもアグレッシブでなけりゃ、ということを実践している。

それと共に、ANCの活動にも力を注ぐ。
「すべてに自由を」、と。

ANC(アフリカ民族会議)の自由を求める闘争、当初は、マハトマ・ガンジーに倣った非暴力なものであった。しかし、それでは埒が明かない。アパルトヘイト政策を取る南アフリカ政府の弾圧は強まる。
「服従するか、闘うか」。
1961年、ANCは軍事組織を結成する。
ネルソン・マンデラ、身分証明書を焼き捨て、地下へ潜る。しかし、1962年、マンデラは逮捕される。
1964年、国家反逆罪で終身刑の判決が下され、悪名高いロベン島へ送られる。
1990年に釈放されるまで、ネルソン・マンデラ、27年間の長きに亘りロベン島の獄中で過ごす。
何と言うこと。
その後のマンデラの軌跡は、よく知られた通り。
1993年、アパルトヘイト政策を廃止し、マンデラを釈放した時の南アフリカ大統領・デクラークと共にノーベル平和賞を受賞し、その翌1994年には、南ア初の黒人大統領となった。

実は、今年初め、NHKBSでこのような番組があった。
南アフリカのアパルトヘイト撤廃に至る秘録なんだ。

1990年2月2日、時の南アフリカ大統領・デクラーク、このような発表を行なう。ネルソン・マンデラを釈放する、という。なお、ブラザビル協定とは、ナミビアの独立やそれにからむアフリカの新しい秩序を取り決めたもの。
ネルソン・マンデラ、2月11日に釈放される。実は、今年2月初旬のNHKBSのドキュメンタリー、その裏には、この男がいたのだというものである。

このジャン・イブ・オリビエという男、アルジェリア生まれのフランス人。
1981年からアフリカとヨーロッパの間を自家用ジェットで飛びまわっているビジネスマン。政治的な信条でなく、経済的な思惑から、ネルソン・マンデラは釈放すべき、と考えたそうだ。
で、そのように立ちまわった。アフリカ諸国の要人とヨーロッパ諸国の要人の間で。
「謎のフランス人」と呼ばれている、この顔も体もズングリとしている男、アパルトヘイト政権からも新しい黒人政権からも、共に称賛された唯一の人物だそうだ。
こういう男がいたんだ。マンデラが釈放される過程では。

ネルソン・マンデラ、昨年末、12月5日に死んだ。95歳の天寿を全うし。
12月10日、ヨハネスブルクで追悼式が催された。世界中がマンデラの死を悼んだ。
昨年末、その日のNHKBSの画面。

アメリカは、その追悼式に、現大統領・オバマ以下、前大統領・ブッシュ、それにクリントンとカーター、二人の元大統領を送りこんだ。
ネルソン・マンデラを如何に考えていたか、捉えていたか、この陣容がよく表している。
なお、下の顔写真は、左からイギリス首相・キャメロン、フランス大統領・オランド、アフガニスタン大統領・カルザイ、キューバ国家評議会議長・カストロである。
その折り、オバマとカストロ、握手を交わしたそうだ。カストロ、フィデルではなく弟のラウルではあるが。
ネルソン・マンデラ、どのような男であったか、よく解かる。


スコットランドのイギリスからの分離独立を決める国民投票、今日行なわれた。
YES、NO、拮抗している、との事前の予測であったが、NO、独立反対派が勝った。55%対45%の10ポイント差で。
スコットランド、1707年にイングランドに併合された。
日本で言えば、1609年、薩摩藩の侵攻により実質的に薩摩の属国となり、さらに、1872年の琉球処分により完全に日本へ組みこまれた琉球・沖縄のようなもの。
その、つまり、沖縄の日本からの独立を問う選挙であった、ということが言えよう。
それを公然と行なうところ、民主主義国家・イギリスの衿恃を感じる。