高赤中=ハイレッド・センター。

1月末、早見尭からメールを貰った。
<流山子ブログを拝見しているが、トーハクは年中、最近ではMOTのうさぎや吉岡徳仁まで登場、・・・・・、百もご存じだと思いますが、・・・・・、懐かしいもの2題です>として、松濤美術館での「ハイレッドセンター展」と、銀座のギャラリー58での「ネオダダ新作展」を教えてくれた。
早見尭、自身作家でもあるが、永年美術評論で身を立ててきた男。私の周りでは、美術評論やそれを教えることで飯を食ってきた唯一の男である。

半月ほど前、久しぶりで松濤美術館へ行った。
松濤美術館、小ぶりな美術館であるが、洒落た美術館である。私は好き。唯一の難点は、駅から少し遠いこと。

「ハイレッド・センター : 直接行動の軌跡展」。

松濤美術館、渋谷区立の美術館である。入場料が安い。一般の人は300円である。
それどころか、60歳以上の人はタダ。いいのかね、それで。
日本の高齢化問題大変だー、となっている。しかし、年寄りに極端に気を配っているところもある。MOTのシニア会費にしてもそう。安すぎる。気を遣いすぎるのも問題があろう。これからは。

この赤い「!」印がハイレッド・センターのシンボル。

ハイレッド・センターって、どこかアカデミックな感じがするなーって思われる若い人もいるかもしれない。
まったくそうじゃないんだ。高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之、この3人の表現者の最初の一文字の英語を繋げただけのもの。高松の高はハイ、赤瀬川の赤はレッド、中西の中はセンター。だから、ハイレッド・センター。
単純と言えば単純な命名である。
この前後の前衛美術ムーブメントのグループ名を想う。、実験工房とか、具体美術協会とか、九州派とか、ネオダダオルガナイザーズとか、時間派とか、といったものがあった。これらのものが平凡に感じ、単純なハイレッド・センターが”ンッ”って感じるような気もするな。

半世紀前、1960年代、日本は動いていた。あらゆる場で。さまざまなジャンルで前衛が登場した。
ハイレッド・センターの結成は1963年。翌年の1964年には東京オリンピックが開かれた。オリンピックの前には、東京をきれいに、という運動が起こった。
1964年の東京オリンピックの前、銀座7丁目、北海道新聞東京支社前の並木通りで、ハイレッド・センターのこのハプニングが行なわれた。
≪首都圏清掃整理促進運動≫である。白衣を着たハイレッド・センターの男たちが銀座並木通りの道路をきれいに磨いていた。
ハプニング、今では死語となった言葉であるが、半世紀前にはあちこちでハプニングが行なわれていた。

中西夏之≪コンパクトオブジェ≫。1962年作。

赤瀬川原平≪復讐の形態学≫の復刻千円札。1963年作。
世に言う”千円札裁判”が始まる。
通貨及証券模造取締法違反で起訴された赤瀬川原平、執行猶予がついたが、有罪判決を受ける。

高松次郎≪影A≫。1964年作。
高松次郎の影シリーズ、世界に衝撃を与えた。高松次郎、1998年死す。
赤瀬側原平と中西夏之は、70代後半ながらまだ健在。どうもあと10年は活動しそう。