こりゃ、回顧展だ。

学生時代のサークル仲間で作っている会がある。同じサークルの、前後10年ばかりの仲間。今、連絡を取ることができるのが50人ばかり。2年に一度、展覧会を開いている。出品するのは、15人前後。その中、日常的に絵を描いているのは、半分いるかどうか、というところ。
山本宣史は、そのような一人である。
先週、その個展を何人かの仲間と観に行った。
中に入って驚いた。個展の範囲を越えている。こりゃ、回顧展だ。

コート・ギャラリー国立の前の案内。
”墨膠彩展”となっているのは、水墨画と膠彩画の展覧会、という意味である。

このギャラリーは大きい。部屋が二つある。
第1室へ入る。
広い。水墨や膠彩(難しい言葉であるが、”こうさい”と読む)の作品が並ぶ。大きな作品もある。

こちらの壁面はこう。

こちらの壁面には、仏さまの絵が。いずれも水墨画。
左端は、浄瑠璃寺の吉祥天、その右は、広隆寺と中宮寺の半跏思惟像、次は、法隆寺の夢違観音、右端は、山本の師の家にある仏像だそうだ。これのみ、一部に金泥が使われている。

6月22日の地元紙、西多摩新聞に載った、山本宣史展の紹介記事。
福生に本社を置く週刊の西多摩新聞、初めて知ったが、創刊は昭和25年、60年以上の歴史を誇る新聞だ。フリーペーパーじゃない。購読料を取っている。それで、60年以上、大したものだ。

第1室からガラスを通して向こうを見ると、コンクリの中庭を通して第2室が見える。
なお、上のデッサンも山本宣史の手になるもの。

第2室に入る。
こちらは、より広い。

その右に目をやると。
何点もの屏風がある。

より右に目をやろう。

この日は、展覧会初日。夕刻からオープニングのパーティーがあった。
中央にいるのがこの日の主役、山本宣史。

この男だ。
後ろの作品は、「ドーディの憧憬」と「ドーディの朝霞」。いずれも水墨。山本、イタリーが好きなんだそうだ。イタリーには何度かいっているそうだ。ドーディは、ローマの北、イタリー中部の町である。

屏風が4、5点あった。
これは「ノスタルジー」と題されたヴェネツィアを描いた屏風。
屏風は、表装表具、専門の職人に委ねる、という。確かに、裏まで、きちんとしたものとなっている。しかし、金がかかる、という。聞いた金額、半端じゃない。よくぞそこまで、とも思うが、山本はそうやりたかったのであろう。会場で会った山本のカミさんも大らかな女人であった。亭主の好きなことなら、という。
それより、この後ろ、コンクリを打ち、緑の木が植えられた中庭が見えている。コート・ギャラリー国立の名のワケ、解かるよ。

そのコート・中庭から第1室を見る。
正面に、膠彩画の「蓼咲く別山尾根」が見える。

これである。P8号の膠彩画。

この作品、昨年12月に紹介した。第55回の日本表現派展の山本宣史の出品作に触れた折り。
タイトルは、岩手県宮古の「浄土ヶ浜」。昨年の大震災の後、東北へ行ったそうだ。温泉につかったり、大間の鮪を食ったり、という物見遊山の旅に。物見遊山でも何でもいい、大震災後の東北、そこへ行くということだけで”花マル”だ。
ところで、昨年末には、この作品の右半分だけが展示してあった。F150号の大作、会場の都合で、と言っていた。
右は、岩絵の具を膠で溶いた膠彩画。左は、水墨画。
山本宣史の水墨画、墨は、松を燃やした煤から作る松煙墨・青墨。紙は、麻の繊維を漉いた麻紙。
膠彩と水墨、合体している。なおかつ、少しずれている。不思議だ。まあ、これでいいのであろう。
学生時代の油絵もあった。山本宣史、回顧展を開いた、な。