高野・熊野・伊勢巡り(32) 内宮(皇大神宮)(続き)。

内宮の正宮を後に、歩を進める。

玉砂利を踏んで。
雨に濡れた玉砂利、湿った音がする。

あちらこちら、大きな木が目に入る。
伊勢神宮の中に身を置いていることを実感する。

『伊勢神宮と天皇の謎』の著者・武澤秀一は、こう記している。
<皇祖神アマテラスをまつる伊勢神宮は、天皇を天皇たらしめるために絶対に必要な存在だった。・・・・・。つまり天皇とは皇孫、つまり皇祖神アマテラスの子孫と位置づけられた。・・・・・。伊勢神宮とは、じつは、天皇を根拠づける皇祖の存在を明証するものとして成立したのであった>、と。

また、武澤秀一、式年遷宮については、こうも記している。
<伊勢神宮は、いうまでもなく皇祖神アマテラスの住まいである。・・・・・。その輝かしい神威を目に見えてあきらかにするために、社殿は常に新しく、若々しくあらねばならない。なぜなら、皇祖神の勢いが衰えては、その子孫である天皇の存在基盤が脆弱になってしまうからだ>、と。
前に何も付けず、ただ「神宮」という名称を許されているのは、伊勢神宮のみであること、当然である。

御稲御倉(左)や外幣殿(正面)も、すべて新しく建て替えられている。

20年に一度の式年遷宮の年、お伊勢さんへ来ている人は多い。別宮である荒祭宮の前には、行列ができていた。

その横には、20年前に建てられた旧荒祭宮が。

ところどころ、こういう光景を目にする。
伊勢神宮の神域にいることを感じる。

こういうところがあった。
その横に新しく建てられたものはなかった。何らかの理由があるのであろうが、分からない。

内宮の神さまが夜遊びに出られた時、帰りの目印にしたものかな。
ここには、外宮の時のような説明する人がいなかったので、分からない。

別宮、風日祈宮へ行くため、五十鈴川に架かる風日祈宮橋を渡る。

風日祈宮橋から見た五十鈴川。

別宮、風日祈宮。
外宮の風宮と共に、蒙古襲来の元寇の役の折り、神風を吹かせた神さまであるそうだ。

時代色がついた社殿に、濃緑の榊が目を射る。

ここにも覆屋があった。
小さな覆屋、とてもチャーミング。魅せられる。

時折り、大きな木が現われるが、かってはこんなものではなかった、という。
『日本を探す』の中で、産経新聞記者の桑原聡は、こう記している。
<一回の遷宮で使用されるヒノキはおよそ一万本。当初は神宮の背後に控える山(宮域林)から供給されていたが、鎌倉中期までに採り尽くしてしまう。・・・・・。かっての宮域林はヒノキこそ供給できないものの、常緑広葉樹が自然に育ち森を成していた。ところが、江戸時代にその姿を大きく変えてゆく。群衆が周期的に伊勢へ押しかける現象、お蔭参りの影響である。木々は煮炊きに使用する薪として伐採され、明治時代にはほとんど裸に近い状態となる>、と。
伊勢神宮の宮域林の木々、江戸時代のお蔭参りの人たちの煮炊き用の薪として、ことごとく切られてしまったんだ。
江戸期の人々のお伊勢参り、そのエネルギー、凄いものであったようだ。
鎌田道隆著『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』(中公新書、2013年刊)には、江戸期の人々の、さまざまなお伊勢参りの模様が記されている。
各地に伊勢講があった。
今の東京西部、喜多見の田中国三郎という男の伊勢講の模様は、こうである。
国三郎ら伊勢講の一行は、弘化2年1月22日に喜多見村を出発して、伊勢参宮を含めて3か月に及ぶ旅をする。
22日には戸塚で泊まり、東海道を西へ進み、24日には箱根を越え、・・・・・、2月8日には目的の伊勢に入り、・・・・・。ところが、喜多見村の伊勢講の人たち、お伊勢さんへ参った後、その多くの人たちは更に旅を続ける。高野山、堺、大坂、京都、と。
さらに、田中国三郎はさらに西へ、岩国の錦帯橋まで行っている。で、3か月の旅。
鎌田道隆、その費用まで計算し記している。現在の貨幣価値に換算し、ほぼ90万円から100万円であろう、と。パワーがいったことだろう。
江戸期、60年に一度起こったというお蔭参りは、より凄い。
宝永2年(1705年)のお蔭参りは、362万人。そして、文政13年(1830年)の四国阿波から始まったお蔭参りは、450万人以上の人がお伊勢さんへ押し寄せたそうだ。何とも凄い。
ところで、この書の著者・鎌田道隆、奈良大学の学長であった学者。自身も、学生と共に、奈良から伊勢までのお伊勢参りを25年にわたり続けてこられたそうだ。
1日に歩く距離は、ほぼ8里。5日目に伊勢に着き、外宮と内宮を参拝、帰りは電車で奈良へ、というものだそうだ。
奈良の大学へいく学生は、少し変わった状況に身を置くことができるようだ、な。

帰途、宇治橋の近くであったか、真っ白なニワトリがいた。
いかにも伊勢神宮にマッチしている、という白い鶏であった。


高野山から始まり、熊野三山、そしてお伊勢さんの霊場巡り、思いの外延びてしまったが、これにて打ち止めとする。
多くの日は雨であったが、雨であるからこそ、趣きも弥増した。