高野・熊野・伊勢巡り(31) 内宮(皇大神宮)。

外宮から内宮へ、三重交通、ウイークデーにもかかわらず臨時のシャトルバスを次々に出している。乗る人は多い。
式年遷宮のお伊勢さん、大勢の人が詰めかけている。
伊勢神宮の建物、掘っ立て柱に茅葺きの屋根である。柱を直接地中へ埋める、という原始的な工法。だから、20年なのか。
『伊勢神宮と天皇の謎』の著者・武澤秀一は、その理由を三つ挙げている。
「耐用年限20年」説、「技術伝承20年」説、「代替り20年」説の三つ。しかし、おそらくは、「耐用年限20年」が主たる理由であろう、としている。大陸から、耐用年限のより長い建築工法が入ってきているにもかかわらず、掘っ立て柱という、原始的な耐用年限の短い工法をとっているからである。
伊勢神宮、建て替えることが重要なのであった。
常に新しいものが求められた。常若の思想である。
内宮へ。

内宮・皇大神宮、御祭神は天照大御神。
約2000年前に、ここ伊勢の地へ来られたそうだ。

五十鈴川。
聖と俗とを別ける結界である。

その上に架かる宇治橋を渡る。人が多い。
宇治橋の向うの鳥居は、内宮の古い正殿の棟持柱を再利用したもの、という。
シンプルな内宮宇治橋の鳥居、神明鳥居、というそうだ。

外宮では、飛騨高山の獅子舞が演じられていたが、内宮では、沖縄普天間の獅子舞が奉納されていた。

三重県産の清酒が奉納されている。
「五十鈴川」とか、「御山杉」とか、「参宮」とか、「伊勢」とか、「おかげさま」であるとか、といったお伊勢さんらしい名の酒が並んでいる。

一の鳥居。

このような看板がある。

五十鈴川御手洗場。
幾らかの人は、五十鈴川の御手洗場へ行き、身を清めている。

ニの鳥居。

御饌殿、神楽殿などが続く。

大きな木の間を歩く。

内宮の正宮。
唯一神明造りの正殿は、この奥にある。
私たちが見ることは、許されない。
暫らく前に記した産経新聞文化部編著の『日本を探す』にも、お伊勢さんのこの正殿のことは出てくる。
桑原聡という産経の記者が書いている。
産経の桑原記者、「なぜ正殿を見せないのですか」、と神宮司庁の人に訊いている。
その答えは、こうである。
「畏れ多いからです。また、神様は見るものではなく、感じるものではないでしょうか」、というもの。
そうだよ。正宮は見ることができるが、正殿を見ることなんてできるわけはない。
”畏れ多いもの”なんだから。