高野・熊野・伊勢巡り(30) 外宮(豊受大神宮)(続き)。

ところで、以前に触れた武澤秀一著『伊勢神宮と天皇の謎』によれば、式年遷宮というもの、伊勢神宮ばかりでなく、住吉大社(大阪)、香取神宮(千葉)、鹿島神宮(茨城)、諏訪大社(長野)、宇佐神宮(大分)、貫前神社(群馬)、下鴨神社(京都)など、かっては39社の神社で行なわれていた、という。
<神の住まいである社殿は古びてはならず、常にみずみずしく清新でありたい。それが社殿を定期的に造り替える意図である>、と武澤秀一は記す。
次いで、<しかし、いうは易く、おこなうは難し。これを実行するには、いうまでもなく、莫大な費用が必要だ。願いを叶えるのは甚だ困難であり、多くの場合、破損の状況に応じて修理をおこなうことに落ち着いてゆく。これを「随破修理」というが、・・・・・>、とも。
伊勢神宮以外の神社、式年遷宮の莫大な費用負担に耐えられず、だんだん悪くなった所だけを修理する、ということとなって行った模様。
天武天皇の命により初めての式年遷宮が行なわれたのは、天武天皇の妻である持統天皇によって。690年のこと。以後、応仁の乱による中断はあるものの、伊勢神宮の式年遷宮、営々と受け継がれてきた。
伊勢神宮ならばこそ。皇祖神・アマテラスの子孫である天皇の存在があればこそ。

20年を経た外宮の古い正宮。

鳥居の外から古い正宮を見る。

古い正宮の板垣。

色あせて、

味がある、な。

別宮である土宮。

ただ、ウーン。
何とも言えない。
すぐそこに、神がいるようだ。

やはり別宮である風宮。

鎌倉時代、蒙古の大軍が九州へ押し寄せた。元寇である。
だが、神風が吹き、日本は侵略を免れた。
伊勢神宮のこの風宮のおかげである、そうである。

この小さな建物、おもちゃのような造形を見た時から気になっていた。
風宮の覆屋である。
20年後、次の遷宮の折り、風宮が新たに建つその場である。

正宮の方へ戻る。
右側が古い正宮、左の方が新しい正宮であるが、オッーと右側の一番端を見てもらいたい。
正面からは見ることができない正殿の千木が、チラと見えている。

神楽殿などの前を通り、勾玉池の方へ戻る。

勾玉池の奉納舞台では、岐阜県高山市の飛騨東照宮おかめ獅子舞保存会による演舞がある模様。しかし、なかなか始まらない。
で、すぐ隣りの「せんぐう館」へ入った。
遷宮シアター、遷宮に携わる匠たち、外宮正殿の原寸大模型など、盛りだくさんな展示である。

せんぐう館を出てくると、飛騨東照宮のおかめ獅子舞保存会の舞台では、こういう舞が行なわれていた。
「鈴の舞」。

せんぐう館から見た勾玉池。
その向うには、神宮の森が広がる。