将来の巨匠。でも、親御さんは大変だ。

先月末、芸大の中にはこのようなポスターもあった。

「素描展」とある。
東京藝術大学日本画第二研究室ともある。
「一階 描法の再認識、二階 それぞれの眼差し」とも。

芸大構内のこの建物で催されている。

「陳列館」の名。
時代がかった建物である。
「素描展」、もらったパンフレットによれば、<大学院日本画第二研究室の学生と教員が、各々の「素描」を一堂に持ち寄り展示します>、とある。
<素描」のほかに、粗描、写生、下絵、ドローイング、デッサン、クロッキー、スケッチ、エスキース、等々の用語は、制作の目的ないし動機により、・・・・・>、との記述も。
言ってみれば、スケッチなんだ。しかし、スケッチの割には写真を撮ってはいけない、という。おい、おい、どうしてなんだ、と思うが仕方がない。
若い男と女が2人、入口に座っている。恐らくその日の当番の学生だろう、と見当をつける。その若い男の子と話す。
清水啓悟君と名のる。感じのいい若者である。ピュア、純な感じの若者だ。

入る時にもらったパンフレットの図像は複写してもいい、と清水君は言う。
その清水啓悟の素描。
<素描とは、外と内を繋ぐ作業です>、と記している。
それにしても、清水君の素描、上手い。まるで小磯良平じゃないか。
清水君と話す。
東京藝大の絵画科日本画、毎年の募集人員は25人だそうである。
先ほどネットで調べたら、今年、平成25年の志願者数は514人。倍率20.6倍。油画、彫刻、工芸、デザイン、建築、その他のコースの内、絵画科日本画、最も競争率の高いコースである。
20人に1人。厳しいな。
清水君は2浪で入ったそうだ。倍率20倍だから、3浪、4浪、5浪なんて人もゴロゴロいるだろう。
清水君は、今、大学院修士課程の1年だそうだ。大学院へ進めるのは、約半数である、という。さらに、博士課程へ進めるのは、毎年4人、と清水君は語る。さらに、その上の教育研究助手になれるのは毎年1人のみ、と清水君。そこから、講師、准教授、教授へと、気の遠くなる道筋である。
そんな必要があるのか、清水君に尋ねた。
「絵描きになるのに、別に芸大を出なくても、大学院へ行かなくてもいいんじゃないか。芸大どころか普通の大学へ行ってもいいんじゃないか。さらに、大学なんて行かなくてもいいんじゃないか」、と。
清水君、こう答えた。
「確かに、芸大を出なくても、芸大の大学院を出なくても、絵描きにはなれます。しかし、やはり修士課程、博士課程というステップが必要なのです」、と。
どうも、日本画というところにその必要性があるのかもしれない。或いは、日本画に限らず日本画壇で生き延びるには、という問題もあるのであろう。また、脈々と生き続ける東京藝大を頂点とするアカデミズム、ということもあろう。
それはそれとして、2〜3年浪人をして藝大へ入り、学部は4年で卒業したとし、その後、大学院修士課程で2年、さらに、博士課程へ進めたとして、そこまでで30前後になってしまう。
清水君にそう話すと、「そうです。そうなんですが、僕もそれを経て作家になろう、と考えています」、と言う。
ウーン、大変だ。絵描きになろうってことは。
清水君には言わなかったが、30前後まで面倒をみなければならない親御さんは大変だ。そうであったからと言って、その後、作家として食っていけるかどうかの保証はないんだから。
作家への道、芸術家への道、巨匠・大家への道、厳しーい。
頑張ってくれー、清水啓悟君。

陳列館の入口に座っていたもう一人の当番、ホンワカとした女の子とも話す。柔らかな雰囲気の若い女性、ジジーが言うべきことではないかもしれないが、いいなー。
その西岡悠妃さんの素描。
これも上手いな。何十年か後の秋野不矩だ。
西岡悠妃、こう記している。<私にとって素描とは、心が動いたものを無我夢中になって描くものです。見返すとそこには感動した日々がつづられています>、と。
「あなたも修士課程の1年?」って尋ねる。「いえ、私は2年です。清水君とは予備校で同じだったのですが。私は女子美から来たものですので」、とのこと。西岡さんは、1浪で藝大へ入ったそうだ。
彼女も将来の巨匠・大家への道を歩き出しているんだ。どうなるのか、は解らない。
何の力にもならないが、フレーフレー西岡悠妃。
東京藝術大学日本画第二研究室の素描展、指導教官を除き17人の学生が出品していた。大学院修士課程1、2年の学生であろう。直接話したのは、その日の当番の清水君と西岡さんだけであるが、将来の巨匠・大家となるかもしれないあとの15人の学生の素描をも複写する。

石原孟の素描。
<素描を通して対象を理解しようとし、対象との距離を計っているようにおもいます>、と記す。
[
村岡貴美男の素描。
<素描は対象と1対1で向き合う感じがあります。・・・・・、対象を初めてみた時の感動が素直に出ます。・・・・・>、と村岡は記す。

犬丸宣子の素描。
<最近、描きたいと思うモチーフに沢山出会います。幸せなことです。・・・・・>、と。

マリヤーナ・アンジェリッチの素描。
留学生かな。<素描しながら自分の絵に出会う事ができます>、と記す。


長澤耕平の素描。
<近頃は素描が本画に直接反映されるようなスタイルでの制作はしていません。ですので、・・・・・柔軟体操のようなものです>、と長澤は記す。


丸川直人の素描。
<肩の凝る本画と違いまして、多分に気楽に描いていけます。腰を据えた落書きと言いますか、・・・・・>、と丸川。

佐々木優子の素描。
<もののかたちを描くことで、あじやてざわりやにおいなど、目に見えない魅力に感じたところを残せたら、と思いながら描いています>、と。


小林未季の素描。
<・・・・・。形を写しとるだけでなく、対象の仕草や何気ない表情、雰囲気を出せようにと心がけながら描いています>、との小林の言。

五十嵐泉の素描。
<素描では、小さな美意識に邪魔されず、もっと素直な部分でモチーフと向き合いたいと思っています>、と記す。

水野淳子の素描。
<・・・・・。どうやら私にとっての素描は、頭の中のぼんやりした画像を紙の上に描きみる作業なのではないかと、最近思うようになりました>、と。

上原由紀子の素描。
<今回は身近な動物に焦点を当てた素描にしました。彼らの生き生きした表情を描くとき心地よい緊張を感じることができます>。

川崎麻央の素描。
<・・・・・。モチーフが持っている”らしさ”を頭でなく指先で探り当てたいと思っています>、。

吉村幸子の素描。
<「よく見ること」を大事にしています>、と吉村。

澁澤星の素描。
<私にとって素描は、対象と対峙した時に生まれる一瞬の景色を摘み取ろうと努める事です。自己完結した非常にプライベートなものですが本画と同等に真剣な物です>、と澁澤。

大竹彩奈の素描。
<素描しているとき、対象を捉えたいという強い欲求のみに心身が支配され、他のことは一切排除されます。純粋に楽しく、とても充実する時です>、と大竹は記している。
これら17人の東京藝大日本画第二研究室の修士課程の皆さん、それぞれの親御さん共々その将来の明るいことを祈るが、現実はそうはいかないであろう。
そういう世界に踏みこんだのだから、成行きにまかせるしかない。どうなるかなんてなんて、思い煩うことはない。巨匠・大家になるかもしれない。でも、たとえ、もがきにもがく人生だって、それはそれ、いいんじゃないか。
挑戦する若者、気持ちいい。