漱石の美術世界。

今年も上半期は過ぎた。ラファエロが来た。20世紀のハードパンチャー、フランシス・ベーコンが来た。中世の教会堂の蹟、パリ・クリュニーのオリジナル展示を何度か観ているので行かなかったが、クリュニーから≪貴婦人と一角獣≫のタペスリーが来た。いずれも濃密な企画展である。
しかし、今年上半期で一番という企画展は、これではなかろうか。
今は静岡県立美術館へ巡回していったが、今月初めまで芸大の美術館で催されていた「夏目漱石の美術世界展」である。
こういうのって、企画力の勝負だよね。どのようなものを目指すのか、どのように組み立てるのか、といったことが大事になる。それが上手くいってるんだ。「吾輩は・・・である」のネコから始まって、夏目漱石の美術世界が展開される。これがとても面白い。
夏目漱石、小説家である以前に英文学者である。英国へ留学している。でも、漱石の頭の中、和漢洋の教養がぎっしりと詰まっている。中でも驚くべきは、漢籍の素養。

芸大美術館での展覧会、まずそこまでのアプローチが面白い。
上野駅の公園口を降りて芸大美術館まで10分足らず。7〜8分程度かもしれない。西洋美術館を過ぎて公園に入ったすぐに、各美術館や博物館の案内看板があるが、それは過ぎる。
芸大の方へ曲がろうというところに、このような看板がある。樹木が多くなる所である。

そこからすぐ、芸大の建物が現れる所。

芸大構内、美術館の前の漱石展の看板。
JRの駅を降り、10分足らず歩くうちにテンションが高まっていく。

ネコ。
夏目漱石の書の多くの装幀を担当している橋口五葉の作。

「吾輩ハ猫デアル」、数限りない挿画、装幀がなされている。橋口五葉の手によって。これもそのひとつ。

これも「吾輩・・・である」のひとつ。橋口五葉の手になるもの。

漱石の作品には、多くの美術作品が現れる。多くは絵画。これは、ターナーの≪金枝≫。
それはそうと、『吾輩は・・・』が出たら、『坊っちゃん』であろう。
坊っちゃん、教頭の赤シャツに誘われ釣りに行く。赤シャツの腰巾着・野だいこも当然一緒。
<「あの松を見給え、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だにいうと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた>。≪坊っちゃん≫の一節。
赤シャツの腰巾着の野だ、「あの島をターナー島と名づけようじゃありませんか」なんて余計な発議をする、という一席。そのターナーの≪金枝≫。上が傘のように開いた、このターナーの松の木である。
恐らく漱石、この作品をテート・ブリテンで観ている。

夏目漱石、英国留学中、ラファエル前派から19世紀末のイギリス美術に身を置いた。
ターナーはじめ、J.E.ミレイ、J.W.ウォーターハウス、その他の作家たち。
『草枕』の主人公は、画工、つまり絵描きである。温泉場だか湯治場だかは分からないが、那古井という所へ行く。
<・・・・・、しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリアの面影が忽然と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。・・・・・。オフェリアの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦朧と胸の底に残って、・・・・・>、と漱石。
J.E.ミレイの≪オフェリア≫はなかったが、写真があった。参考写真として。
J.E.ミレイの作品、これがあった。
≪ロンドン塔幽閉の王子≫。

J.W.ウォーターハウスの≪シャルロットの女≫。
漱石、ラファエル前派への思い入れは凄い。響いてくる。

しかし、それにも増して響いてくるのは、和漢美術。就中、日本美術へのこだわりである。
伊藤若冲の≪梅に鶴≫。
『草枕』から引く。
<横を向く。床にかかっている若冲の鶴の図が目につく。これは商売柄だけに、部屋に這入った時、既に逸品と認めた。若冲の図は大抵精緻な菜色ものが多いが、この鶴は世間に気兼ねなしの一筆がきで、一本足ですらりと立った上に、卵型の胴がふわっと乗っかっている様子は・・・・・>、とある。
確かにそう。若冲らしからぬ若冲である。
『草枕』には、永沢蘆雪の≪山姥図≫も出てくる。そればかりじゃない。雪舟、蕪村、池大雅、丸山応挙、運慶、北斎、司馬江漢、その他多くの絵描きが出てくる。
同時代の作家たちも。
黒田清輝、藤島武ニ、岸田劉生、浅井忠、青木繁、中村不折、橋口五葉、津田静風、その他多くの人たち。

この一角が見ものであった。
大正元年(1912年)10月15日から12回にわたって「東京朝日新聞」に連載された第6回文展評、「文展と芸術」。漱石の美術批評。これが面白い。
この横山大観の作品、≪瀟湘八景≫の内、≪漁村返照≫。漱石の評は、まあ好意的。
漱石、その最後にこう記している。
<審査の結果によると、自分の口を極めて罵った日本画(寒月)がニ等賞を得ている。・・・・・。自分は画が解かるやうでもある。又解からないやうでもある。それを逆にいふと、・・・・・>、と。
この年、漱石からボロクソ、ケチョンケチョンにやられていた作品は、寒月・木島桜谷の作品。漱石、前年の木島桜谷の作品をも、<今思ひ出しても気持ちの悪くなる鹿である。・・・・・>、と記す。その年の作品もケチョンケチョン。なかなかこうは言えないよ。こう言えれば、さぞや気持ち良かろうな、という思い次々と湧いてくる。

よく知られた漱石。
なかなかの男前。

帰りに絵葉書を1枚買った。
橋口五葉の手になる「吾輩ハ・・・・・」の縮刷本の表紙装丁。
洒落てる、よ。