長嶺ヤス子、凄いな、やっぱり。

2年少し前の春、長嶺ヤス子は病院のベッドにいた。東日本大震災のすぐ後、直腸がんの手術を受けたんだ。しかし、その1か月後には、長嶺ヤス子、もう踊っている。
長嶺ヤス子、今、77歳である。外見は、よく見ると確かにバアさんである。しかし、その内面は、そうではない。普通の人とは、やはり違う。どこか、すっ飛んでいる。凄いんだ、やっぱり。
長嶺ヤス子、3歳の時から踊っていたそうだ。でも、フラメンコの上に乗っかった日舞や洋楽の取り込み、その原点は、1960年のスペインへの留学にある。
長嶺ヤス子、日本国から何とかという勲章も受けている。が、何とも変なお婆さん、と思われてもいる。何しろ、170匹の猫と13匹の犬とを引き取り、暮らしているのだから。風変わりこの上ない、と思われて当然。

監督:大宮浩一のドキュメンタリーである。
長嶺ヤス子、30数年前、車で猫をひき殺した、という。そのまま立ち去ろう、としたと言う。
しかし、考えた。それからなんだ。車に轢かれた猫や犬を拾ってくるようになった。死んだものには位牌を作る。まだ生があるものは世話をする。
100匹を超える猫や犬、東京で世話をしていたが、近所から苦情が出る。仕方なく、出身地の会津若松で、犬や猫が過ごせる家を借りる。

10数年前、マドリードでホアキン・コルテスの踊りを見たことがある。その頃のホアキン・コルテス、フラメンコの大スター。当時、世界で最もセクシーな男と言われていた。
しかし、セクシーな男ではホアキン・コルテスを凌ぐ男がいた。ホセ・ミゲルである。
鋭利な刃物で頬を削りとったようなシャープな顔貌、小柄な男であった。長嶺ヤス子の公私とものパートナーである。惚れ惚れするぐらいにいい男であった。
私は、1970年前後に会っている。初めは、新宿ゴールデン街のタブラオで。その頃流行っていた「アドロ」の歌詞を書いてもらった。
長嶺ヤス子、ホセ・ミゲルは浮気な男であった、と言っている。でも、ホセ・ミゲルとのフラメンコの舞台、時折り持たれた。渋谷の山手教会地下のジャンジャン、小さな劇場であったが、長嶺ヤス子とホセ・ミゲルのフラメンコにはうってつけ。濃密な空間であった。

長嶺ヤス子、今、出身地の会津若松の近く、猪苗代に家を借りている。そこで、拾ってきた猫170匹、犬13匹を飼っている。
長嶺ヤス子、凄まじく厳しい日常を生きている、とも言えるだろう。


長嶺ヤス子、踊りでは儲けにはならないそうだ。
で、絵を描いているそうだ。
油絵、1点、20万だったか30万だったか、よく売れるそうである。それは、よかった。ヌード・フラメンコ、ファンがいるってことは、ありがたい。

百数十匹のニャンちゃんやワンちゃんに囲まれた長嶺ヤス子、どう言やいい。
長嶺ヤス子、やっぱり、凄い。