久しぶり、インドの喧騒。

久しぶりにインドの街中を歩いた気がした。インドの喧騒の中に身を晒した気になった。
在日コリアン3世である映像作家・キム・スンヨンの、バックパッカー目線でのドキュメンタリー、ホント自分もインドの地を旅している気になってくる。
1968年生まれのキム・スンヨン、世界あちこちを旅している。
ベルリンの壁が崩壊したのは、1989年の暮。その翌1990年、その壁を見に行ったのが、キム・スンヨンの世界旅の始まりであった、という。行こう、と思ったら、バックパックをかつぎ、サラ金から金を借りてでも飛び出していくらしい。ピピッときたら、身体が反応するようだ。直感行動派、と呼ぶらしい。
1997年、インドのダラムサラでチベット問題と出くわし、2001年発表の『チベットチベット』が、いわばデヴュー。チベット問題を取り上げ、ひょっとして評判になり名前を知られちゃうと、中国当局に目をつけられる恐れがある、ということも、どうも考えたらしい。
で、その前にと、中国へも行っている。雲南へ。あのあたりも少数民族の多い地域。どうも、チベットにしろ雲南にしろ、在日コリアンであるということと無関係ではないようだ。

渋谷のアップリンクには、こういうチラシがとめてあった。ポスターのようなものはなかった。
昨年発表されたアンコール上映が行われた。5日間だけ。それも、1日1回、夜9時から、というもの。
シート数40席というアップリンクの中ほどの映写室、バラエティーに富んだイスが置かれている。恐らく、渋谷区のゴミ集積所に集められた廃棄されたイスを持ってきたんじゃないか、と思う。だから、バラエティーに富んでいる。でも、充分使える立派なものである。
私が行った日は、半分近く、20人近くの人が来ていた。インドに行ったことがある人も、そうでない人も、インドの街中を歩いた気分になったのじゃないかなー。

『呼ばれて行く国インド』、監督・撮影・編集:キム・スンヨン。
”呼ばれて行く国インド”といっても、別にインド政府に招待されて行くのじゃない。
何か、インドの大地かインドの風か、何かそういうものに呼ばれるんだ。引き寄せられるんだ。
そうして、世界中から多くの人がインドへ集まってくるんだ。呼ばれてくるんだ。そして、さまざまなことを多く考えるんだ。堀田善衛以来、多くの日本人もそうしてきた。在日コリアン3世のキム・スンヨンも、ごく自然にそうしている。

”頭と心をシャッフル”って、インドに行けば誰でもそうなる。
3か月ほど前、イギリスのジイさん、バアさんたちがインドへ行く『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』、という映画について記した。そこに出てくるバアさん、「ウワー、インド人ばっかり」、という声を発していた。そう、インドには凄まじい数のインド人がいる。
インド、人がいっぱい、瞑想、ガンジス川、世捨て人、ボランティア、バックパッカー、宗教、貧困、バクシーシ、子供たち、さまざまな言葉が思い浮かぶ。

初めてインドへ行ったのは、40代後半であった。25年くらい前である。もう若いとは言えなかったが、バックパックを買い、それをかついで行った。
行く先々、リクシャーの運転手と丁々発止のやりとりをし、汽車の予約を取るのには、ボールペンを進呈することが必要なのか、ということも学習し、何より必要なのはインド人の鋭い眼光に怯まないことだ、ということも学んだ。
それ以来、平均して3年に1回程度インドへ行った。だんだん一人旅がきつくなり、団体ツアーで行くようになった。4年半前に行った最後のインド行きでは、一人旅ではあったが、私一人に案内人兼荷物持ちの男がつくという旅をした。インド・フリークにはバカにされるであろうが、仕方ない。
キム・スンヨンの映像、久しぶりで、インドの街中を歩いたような気がする。久しぶりで、インドの喧騒の中に身を置いたような気もする。