ジプシー・フラメンコ。

『ジプシー・フラメンコ』、50年前の映画『バルセロナ物語』の主人公・カルメン・アマジャの生誕100周年を記念したもの。
『バルセロナ物語』、観たかどうか思い出せない。1963年の作品であるから、その時代のもの、観ていない確率が高い。

渋谷のユーロスペース、入口前のポスターには、いつも何らかの紙が貼りつけられているような気がする。この日もそう。
フラメンコ、スペイン南部のアンダルーシアが本場である。しかし、この映画は、スペイン北部のカタルニア、バルセロナの物語である。
フラメンコ、幾つかの町のタブラオで観ている。マドリードのタブラオで、南のセビリアの近くのヘレスのタブラオで、北のバルセロナのタブラオでも。
ドキュメンタリーである。
初めから幾度となく現われるサパテアードが凄い。
何年か前に記したことがある気がするが、フラメンコというもの、トケ(ギター)、カンテ(歌)、バイレ(踊)で成り立っている。
サパテアード、バイレの足踏み。タタタタタタタ・・・・・、・・・・・、と続くサパテアード、まさにフラメンコが醸し出すドゥエンデ(妖気)に引きづりこむ。

『ジプシー・フラメンコ』、監督は、エヴァ・ヴィラ。
それにしても、何と「ジプシー」と謳ってるな、と思っていた。近年は、「ジプシー」という言葉、さほど使われなくなっている。通常は、「ロマ」である。一般的ではないが、ロマの血を引くカリスマダンサー、ホアキン・コルテスの舞台では、ヒターノ、ジタン、ツィガーヌという言葉も歌われた。
原題は、『Bajari(バハリ)』というそうだ。
”Bajari”とは、”バルセロナのジプシー”という意味だそうである。バルセロナのジプシー・コミュニティーの中で、その心が受け継がれているんだな。

50年前の『バルセロナ物語』は、カルメン・アマジャの物語。この『ジプシー・フラメンコ』は、そのカルメン・アマジャの姪・メルセデス・アマジャ・ラ・ウィニーとその娘・カリメ・アマジャの物語。
左は、カリメ・アマジャ。右は、その母、メルセデス・アマジャ・ラ・ウィニー。
カルメン・アマジャの踊りを再現したい、というバルセロナのギター弾きなどに誘われるんだ。「カリメ・アマジャとその母親のメルセデス以外、考えられない」、と。

やはりバハリ(Bajari)である、ファニートという少年のサブストーリーもある。バハリ(Bajari)の世界の物語も。

カルメン・アマジャ、1913年に生まれ、1963年に死んでいる。と、言うことは、『バルセロナ物語』を撮った後すぐに死んだってこと。
でも、その半世紀後の今、遥か極東の国・日本でオマージュを捧げられている。
面白いよな、そういうことって。