実録・連合赤軍 あさま山荘への道程。

バランスをとっているわけじゃない。また、三島と楯の会の若者たちを観たから連合赤軍も、というわけでもない。4〜50年前の日本、激しく動いていた。右であれ左であれ、一途といえば一途。

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』、若松孝二の2007年の作。
60年安保から始まる。60年代、さまざまな騒動がある。三島由紀夫が、もうこれで自衛隊のクーデターはなくなった、と感じた68年、69年の新宿騒乱も含め。
楯の会学生長・森田必勝、楯の会隊長・三島由紀夫に、「先生、どうすればいいのですか」、と突きあげる。
左翼も同様。私の行っていた学校では、5流13派と聞いた。多くのセクトが誕生した。右翼、民族派の組織もある。森田必勝が属していたのもその一つ。
中枢権力に対し戦いを挑む若松孝二、連合赤軍の軌跡、俺が撮らずしてどうする、と考えて当然。
この作品、3時間を超える長尺である。
山岳ベースの場、総括と称し、次々と仲間を殺していく。リンチ殺人が次々と行われる。永田洋子と森恒夫による、”総括”という名のリンチ殺人。凄惨であるが、現実に起きたこと。その後、坂口弘や坂東国男があさま山荘へ立てこもりくり広げた銃撃戦。
今、思えばキッチュ。でも、それでは何故、若松孝二は三島由紀夫の行動や連合赤軍の軌跡を追ったのか。
おそらく、若松孝二にとっては、右であれ左であれ、彼らの行動、”純真”と写ったのであろう。自らの思いと共有できる、と。
そのような時代があった。
”隔世の感”という言葉、よく聞かれる。まさしく、確かに、そうである。

TKPシアター柏のロビーには、若松孝二の写真展、と称するものがあった。
2004年から2012年までの若松孝二を追ったもの。撮影者は、掛川正幸と岡田喜秀。

『千年の愉楽』撮影時のショット。
場所は、ロケをした三重県の須賀利。
”寺島さんも着いたことだし、上機嫌”、とのコメントがある。”寺島さん”、もちろん若松孝二お気に入りの寺島しのぶ。後ろはロケ地の三重の須賀利。おそらく、中上健次の故郷・和歌山の新宮より”路地”の趣きあるのであろう。

『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』を携えカンヌ国際映画祭へ行った。
”レッドカーペットにてカメラマンに答えてポーズをとる若松、井浦、満島、まるでマフィアのドンと幹部”、とコメントにある。

『実録・連合赤軍』。場所は東京・青梅。
”撮影現場でコンテを考える。徹底した現場主義だった”、とコメントにある。

『実録・連合赤軍』。
撮影場所、宮城県・鬼首温泉。”吹雪の中、撮影を敢行。狙い通りのシーンが撮れた”、と


『11.25自決の日』撮影中のこと。場所は栃木。
”監督、大丈夫ですか、遂にダウンか?(救急病院を抜け出して撮影強行、執念としか言いようがない”、とのコメントがある。
そのような時代であった。