東京駅(8) 東京駅復原工事完成記念展。

<東京駅復原工事の完成を記念して開催される本展には、9人(組)のアーティストが「東京駅」と「鉄道」をめぐる作品を出品します。日本の近代化にとってきわめて重要な役割を果たした鉄道、そして日本の鉄道の中央駅であり歴史的な意味を持つ東京駅を、アーティストたちはどう捉えたのか。9つの個性が思いもかけないような発想から紡ぎ出した物語は多様で、見るものの想像力を大いに刺激してくれることでしょう>。
復原工事完成記念展の図録の「はじめに」にある、ステーションギャラリー館長・冨田章の言葉の一節である。
記念展のタイトルは、「始発電車を待ちながら」。サブは、「東京駅と鉄道をめぐる現代アート9つの物語」。<「始発電車待ちながら」という展覧会タイトルは、工事完成を前にした私たちの内省的な姿勢を反映している>、という言葉も図録にはある。
東京駅、東京に限らず、日本の主要駅としては遅れてきた駅である。日本の鉄道事始めの明治5年(1872年)以来、40年以上も後に作られた駅である。しかし、その実情は、満を持して、という気合の入ったものであった。日本の中央駅を造る、という意識が横溢していたに違いない。
それが復原され、ギャラリーも再開した。その記念展、気合が入るのも当然だ。
展示場の中は、撮影は認められていない。記念展の出品作家9人の作品は、求めた図録から複写する。

図録の表紙。
レンガ色。凹凸もある。よく見ると、左上、のどの部分に「始発電車を待ちながら」という明朝体の金文字が見てとれる。粋な図録。

大阪出身の2人の作家、林泰彦と中野祐介が結成したパラモデルの作品。
タイトルは、<パラモデリック・グラフィティ>。青いプラスティックのレールや塩ビパイプといったユニットを無数につなぎ合わせ部屋を埋め尽くすインスタレーション。上下左右、すべてこれ。中へ入ると、不可思議な感がある。

”あおり”の技法を使った本城直季の作品。中心部はピントがあっているが、その上下はぼんやりとさせる技法である。
これも、中心部の何人かの人にはピントがあっているが、周りはボーとしているように撮られている。この作品のタイトルは、<small planet tokyo station>、2004年の作。

左は、<tokyo station #2>、2007年。右は、<tokyo station #4>、2008年。

クワクボリョウタの作品。
左は、<LOST #4>。右は、<10番目の感傷(点・線・面)>。エレクトロニクスを使った作品。見ていると、どこやらオモチャのようで、子供時代に帰るような気がする。

柴川敏之の作品。
柴川、ポンペイのように突然消失した文化の痕跡に触発され、「2000年後から見た現代社会」をテーマに制作を続けている、という。今を、2000年後から見る、というものらしい。
このようなサビが浮きでているようなもの、2000年後から見た今、ということらしい。

秋山さやかの作品。
秋山、ある滞在地に一定期間過ごす。その滞在地を歩き、そこで採集した糸やさまざまな素材を、地図などにひと針ずつ縫い付けていく。そうか、なるほど、という他なし。

廣瀬通孝の作品。これ、面白い。
右側の画面に交通系ICカードをかざす。
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と、直近20回までのICカードを使った経過が表示される。
私は、スイカをモニターにかざした。と、たちどころに私が乗り降りした駅、秋葉原であったり新宿であったりという駅の軌跡が現れた。面白い。
この作品のタイトルは、<Sharelog 3D>。”シェア”っていうことのようだ。

大洲大作の作品。
左は、<光のシークエンス 北越急行 赤倉信号場 2009年>。右は、<光のシークエンス 奥羽本線 弘前駅 2008年>。
<しっとりとした余情をたたえ、撮影した景色の空気感まで伝える>、と図録の説明にはある。

ヤマガミユキヒロの作品。
この作品のタイトルは、<東京駅の眺望>。
細密に描いた東京駅の上に、同じ場所で撮影した映像を重ねる。東京駅の表情、朝から昼、夕刻から夜、時々刻々、さまざまに表情を変える。それを眺める。思いの外の光景も現れる。

廣村正彰の作品。
この作品のタイトル、<ギャラリージュングリン 2012年>という。
ジュングリンって何なんだ。
ジュングリンって、こういうことのようらしい。
それにしても、”ジュングリン”って何なんだ。廣村正彰、”順繰り+ing”で、”junglin”という造語を創ったようだ。まあ、そういうもの。順繰り+ingだ。言葉遊び、いくらでも広がる。