フラメンコ・フラメンコ。

たまに外へ出ると、用が終わってもすぐに戻らず、ふらふらしていることがある。ここ何日か帰宅が遅くなったりが続き、ブログを書くのも面倒、休みとした。
「フラメンコ・フラメンコ」、巨匠・カルロス・サウラの最新作。

カルロス・サウラ、撮影監督にヴィットリオ・ストラーロを迎え、組んだ。
ヴィットリオ・ストラーロ、ベルナルド・ベルトルッチの「ラストエンペラー」、フランシス・フォード・コッポラの「地獄の黙示録」の撮影監督だ。その映像、半端なものじゃない。濃いぞ。

3〜40年ぐらい前の一時期、フラメンコが好きな時があった。長嶺ヤス子が、鋭利な刃物で削ぎ取ったような顔つきのホセ・ミゲルと組み、魂がふれたように踊っていた頃である。
その後、何度かスペインへ行く機会があり、その度にタブラオへ行っている。カンテ(歌)、バイレ(踊)、トケ(ギター)で構成されているフラメンコ、ちっぽけなタブラオでもそれなりに面白い。ある程度のタブラオで、リキの入った所のフラメンコは、それはそれでであるが。
10年ぐらい前であろうか、マドリードに着いた時、ホアキン・コルテスの公演があることを知った。ホアキン・コルテス、当時、世界で最もセクシーな男、と言われていた。その頃、スペインまで追いかけてきたスーパーモデルのナオミ・キャンベルに、門前払いを食わせ、また男をあげた踊り手だ。
チケットが買え、ホアキン・コルテスの舞台を観た。たしか、「ジタン」とか「ヒターノ」とかといったタイトルがついていたような気がする。”ジタン”にしろ”ヒターノ”にしろ、また、””ツィガーヌ”にしろ、”ジプシー”、”ロマ”の人たちのこと。ホアキン・コルテス自体、ロマの血を受け継いでいる。
だからであろう、とてもセクシー。こういう男に惹かれない女は、女じゃない、と言ってもおかしくはない。
しかし、この時のホアキン・コルテスの舞台、あまりいいものではなかった。舞台になっている。芸術作品になっているような感を受ける。タブラオのフラメンコじゃなかった。
10年ほど前、アンダルシアのヘレスのタブラオへ行ったことは、いつか書いたことがある。
ヘレスで泊まることになったので、タブラオへ行った。
40年近く前、新宿のバーで、たまたま来ていたスペイン人から、お前の眉から上がペレ・キントに似ている、と言われた。ペレ・キントってどういうヤツなんだ、と聞いたら、ヘレスのギター弾きだと言う。で、ヘレスに行った時、ペレ・キントを探した。
ペレ・キントというギター弾きはいたが、ペレ・キントには、結局、会えなかった。そのこと、いつか書いた。

カルロス・サウラの「フラメンコ・フラメンコ」に戻ろう。

”生命の旅と光”、命の誕生から甦りまで、全21景に渉り描いている。
若い頃から天才の名をほしいままにしたパコ・デ・ルシアも、60代半ばになった。


第2景だ。真っ赤なドレスのサラ・バラスが舞う。ダイナミックに。
アレグリア、喜びの舞いを。40代、今が盛りのサラ・バラスが踊る。


黒いドレスのエバ・ジェルバブエナ。
3人のギタリストを従え、パーカッションも加え、黒いドレスで、ソレア(哀歌)を踊る。
フラメンコ、元はと言えば、ヒターノの悲しい物語。