パッション・フラメンコ。

無性に踊りたい。サラ・バラスはそう語る。
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8年前になる。2012年、名匠・カルロス・サウラが素晴らしいフラメンコ映画を撮った。『フラメンコ・フラメンコ』。当時40歳になったかならずかのサラ・バラスが、圧倒的な踊りを見せていた。
迫力あるサパティアード、既にバイラオーラ(女性の踊り手)のトップという存在感を醸していた。
やはりサラ・バラスを追ったこの『パッション・フラメンコ』、監督はラファ・モレスとペペ・アンドレウ。サラ・バラス、40代半ば。円熟の極みに達している。
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サラ・バラス、すでに世を去ったフラメンコの世界のマエストロたち、パコ・デ・ルシアやアントニオ・ガデス、カルメン・アマジャなど6人の巨星に捧げる作品『ボセス・フラメンコ組曲』を創る。「ボセス」とは、「声」という意。
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サラ・バラス、この作品を持ってパリ、メキシコ、ニューヨーク、東京と世界ツアーを行う。
この映画、その作品制作3週間前から、足かけ2年にわたる世界ツアーを追ったドキュメンタリー。
舞台ばかりじゃなく、ツアー中の街も出てくる。新宿ゴールデン街を歩くサラ・バラスも。
なんでも若いころ、新宿の「エル・フラメンコ」に出ていたそうだ。「エル・フラメンコ」には昔2度ほど行っただけ。タブラオでもなく、まあ観光客相手の見世物レストランという感覚でいたので。しかし、サラ・バラスはこう言う。「エル・フラメンコには、大変お世話になりました」、と。「エル・フラメンコ」、彼ら彼女らの雇用を護っていたんだ。
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サラ・バラス、舞台には厳しい。
情熱、そして努力。努力しないヤツは去れ、と言う。
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圧倒的なバイレ(踊り)。
が、母の顔もある。
サラ・バラス、フラメンコの踊り手である亭主との間に子供がひとりいる。「子供を残してくることはつらい」、とも語る。