京都・洛西苔めぐり(9) 西芳寺(苔寺)。

京都・洛西の苔めぐり、嵯峨野をめぐった後はここである。唯一、「苔寺」の異称で知られる西芳寺である。西芳寺には一度、梅雨の時期に訪れたかった。
嵯峨野も京都の西に位置する洛西、西芳寺(苔寺)のある松尾も洛西である。松尾、嵯峨野からはやや南に位置する。ただし、行くのには時間を要する。
5条烏丸で京都駅から来るバスに乗ったが、1時間近くかかった。何しろ太秦の映画村や嵐山の辺りを経由していく。少し大げさに言えば、京都の町中の周りをグルッと半周しているようなもの。
終点の苔寺、すずむし寺駅でバスを降りる。西芳寺(苔寺)まで2、300メートルである。

歩くすぐ右手を細い西芳寺川が流れる。
その向こうは西芳寺(苔寺)の境内である。

既に来ている人がいる。
この人たちの多くは同じバスで来た人たち。タクシーで着く人もいる。

西芳寺(苔寺)、このような寺である。
聖武天皇、行基、弘法大師、法然上人、後醍醐天皇、足利尊氏、夢窓疎石、日本の歴史、その時代時代のスーパースターたちの名が見てとれる。
現在は臨済宗の寺、前日に訪れた天龍寺の境外塔頭である。

衆妙門。
10時前、参拝証のチェックを受け、ここから入る。
唯一、「苔寺」の名を称している西芳寺、参拝は予約しなければならない。2か月前から往復はがきで。私は、第二希望日まで書いてはがきを出した。第二希望の日に予約できた。ただし、時間の指定はできない。参拝時間は、寺が指定してくる。
さすが苔寺・西芳寺、と言えようか。

私の許に戻ってきた参拝証のはがき。
7月4日午前10時に、と記されている。遠方からの人は、前日から京都に待機している必要があろう。
余計な文言は削り取り、必要事項のみを記した事務的な記述、かえって小気味いい。
どうも予約時間は1時間刻みであるようだが、この参拝予約制、なかなかいいシステムであると言える。日本国内ばかりじゃなく、「苔の寺」として世界中から多くの人が来るのだから、とても合理的なシステムである。

10時にはまだ時間があるころ中へ入る。左に見えるのは本堂。

本堂。
寝殿造りの趣きのあるお堂。

大賀蓮が咲いていた。

ここから堂内へ入り、左手の本堂へ。
本堂内には、座卓が並んでいる。座卓の上には、墨が磨られた硯と筆があり、般若心経と座禅和讃が記された紙片、さらに護摩木が乗せられている。
10時までの15分ばかりの間に、次々に人が本堂へ入ってきた。どうも団体さんだなと思われる人たちもいれば、外国人のグループといった人たちもいる。団体予約といったことも、当然のことあるのだろう。150人ぐらいの人がいたのかもしれない。

10時、お坊さんが現れ、話があった。硯に筆があるので写経をするのかな、と思っていたらなかった。写経は時間がかかる。
代わりにということか、「般若心経」を3度、それに禅宗寺院だ、白隠禅師の「座禅和讃」を1度唱えた。
上は、その折りの般若心経と座禅和讃。
最後に護摩木に筆で、祈念することを書いて仏前に供えた。
もちろん私は、孫娘と孫坊主の行く末の幸せを、と。隣にイギリスから来たという若い男が座っていた。もじもじしていたので、ここにあなたの願いを書くんだと言ってやった。その若者、筆でpeacefull of soulって書いた。魂の平穏か、孫の平安という即物的な私の願いとは異なり、魂の平安、イギリスの若い男のほうがより禅的かもしれない、と思う。

本堂に30分ほどいて、いよいよ庭園へ、苔庭へ。

少し先の観音堂の横で、この紗の衣を着ている人の説明があった。
苔寺と苔庭についての。

その後は・・・

皆さんそれぞれ・・・

苔寺の・・・

苔庭をめぐる。

ここは少しつっかえている。

今年は京都も雨が少なかった模様だが・・・

そうとも感じられない。

嵯峨野の祇王寺の苔庭も素晴らしいが・・・

規模の違いを感じる。

祇王寺はその中に身を置き、西芳寺は外から俯瞰する。

池泉回遊式の庭園を、反時計回りにめぐる。

黄金池を中心とした心字池である。

アップルのスティーブ・ジョブズがこの寺が好きで、何度か訪れていたという。
どのような景観がお気に入りだったのか。

このようなところか。

このようなところか。

手入れをしている職人さんがいた。

向上関。
池泉回遊式の庭園はここまでで、ここから先は上への石組みの庭園となる。

石段を上り、下を見る。
先の方に先ほどめぐった心字池が見える。

傾斜地には、やはり苔。
美しい。

私は行かなかったが、先の方に茶室のひとつ・指東庵が見える。

石組みがある。

このようなところもあるが・・・

私は早々にこのような道を下り、最初に入った本堂の前に戻った。

本堂の横に苔むした大きな石碑が建っている。

こういう立札が立っている。
「苔寺にて」という文章。
大佛次郎の文章を川端康成が書き、それを碑に刻んだものらしい。
大佛次郎、今の若い連中はどう思っているのか、と言っている。苔寺のことを、ただ美しいということだけなのか、それとも自分たちの血に繋がったものとして捉えているのか、と。
大佛次郎の言っていること、そう大したことではない。私にはそう思える。それを川端康成が筆をとり、大きな碑にすることにさして意味があるのかな、とも。
この碑、西芳寺の素晴らしい苔庭、またその苔にとって惜しい。

西芳寺庭園案内図。
入った時にもらったこの案内図を片手に持ち、苔寺の庭園をめぐり写真を撮っていたので、案内図の紙片、しわくちゃになってしまった。
左手下の衆妙門から境内に入り、その上の本堂で般若心経などを唱え、その右手の観音堂から池泉回遊式庭園を反時計回りでめぐり、向上関から上段の石組みの方へ少し上り、本堂の方へ下りてきた、ということになる。