空海(続きの続きの続きの続き)。

空海の書、これは素晴らしい。その書の中に、密教の教えがある、とも言える。
しかし、空海と言えば、また、密教と言えば、やはり、曼荼羅だ。千変万化、さまざまな曼荼羅、マンダラがある。視覚的に興味深い。美しい。両界曼荼羅ばかりじゃなく。
曼荼羅の展覧会、稀に行なわれている。だが、30年近くも前になるが、原宿のラフォーレミュージアムで催された展覧会は、とても面白い展覧会であった。
タイトルは、「アジアの宇宙観展」。主催は、国際交流基金。後援は、外務省+文化庁+NHK。企画、構成には、杉浦康平が当たっている。

その図録として出された書が、これ。
構成・杉浦康平、監修・岩田慶冶『アジアの コスモス+マンダラ』(講談社、1982年刊)。
装丁、レイアウトは、もちろん、杉浦康平。中のページの地色は、レモンイエローとイエローオーカーを混ぜたような微妙な黄色。杉浦康平ワールドへ誘う。

インド、中国に端を発したアジアに広がる宇宙観、その中心には、須弥山がある。壮大な須弥世界が広がる。この展覧会、そして、この書、そういうところから入っていく。
須弥世界については、8月半ば、映画『東大寺大仏の世界』の中でも記した。大仏が座する蓮華座の線刻画、三千世界について触れた折り。言ってみれば、それと同じ。無量無限の世界。
インド産の宇宙観、アジア全域に流布したが、日本で考えられたもののひとつは、このようなもの。大本は、インドで5世紀ごろに成った仏教哲学『倶舎論』。この書には、その詳しい説明も書かれているが、長くなるので省く。
要は、とてつもなく大きな世界で、その中心に須弥山(スメール山、メール山)がそびえている、ということ。

7世ダライラマによって建立された、ラサ西方の<夏の宮殿>の壁画だそうだ。
上方には、須弥山。下の方に広がっているのは、地獄。

須弥山世界、仏教の専売特許ではない。アジアの宗教世界、いずこにも表われる。アジアの宇宙観、すべて須弥世界。
これは、仏教とほぼ同じ時代におこったジャイナ教の須弥世界。<須弥山が、マンダラに似た円形世界の中心に座している>、と説明にある。

<マンダラは、須弥山山頂を借りて出現する。精神世界の平面図である。中心尊が入れかわるたびに、周囲の仏たちの関係ががらりと変容する。この図は、金剛薩埵マンダラ。大日如来と衆生の間に立つ、光りあふれる仏を中尊とする>、とある。
上は、チベットのマンダラ。色づかいが、とてもエレガント。

クメールのマンダラ。カンボジアだ。
農耕社会のマンダラ、<中心部をとりまき、積層する同心円は、・・・・・水を起源とし、変幻のかぎりをつくす大気現象を象徴している>、とある。

奈良、法隆寺の「星曼荼羅」。
<中央は、北斗七星を背に座す釈迦金輪仏。須弥山山頂に座す>、とある。
この仏の姿の嫋やかさ、いかにも日本だなー、って感じを受ける。

<マンダラとは、まさに須弥山山頂の水平断面であり、修行僧たちにとっては、宇宙とみずからが交接する接点に脈動する図像であるという>、とこの書には記されている。
曼荼羅、宇宙と交接する接点に位置しているのか。そこで、脈動してるのか。そうかもしれないな。
なお、この図像は、「1500尊マンダラ」。数えることなどできないが、1500の尊像が描かれているのだろう。
チベットの仏教僧、ヒロシ・ソナム師(タルツェ・ケン・リンポチェ)の所蔵品。以下の2点も同。

左は、「61尊マンダラ」。中心尊は、シャカムニ。
右は、「女尊白傘蓋27尊マンダラ」。中心尊は、頂髻白傘蓋。

仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、さらには、修験道にまでつながるアジアの宇宙観、須弥山世界から発し、曼荼羅に昇華した。
曼荼羅、こうして見ると、その深奥は知らず、とても美しい。