力作瞥見(4)。

「力作瞥見」、4回目となった。まだ何人か残っている。2年余となる私のブログで、今まで紹介していない古い仲間の力作を載せよう、と考えている故。あと、数日続ける。
しかし、今日の2人の作品は、力作とは言い難い。少し趣きを異にする。
そのひとり、T.S.の今回の出品作は、これ。

T.S.の作品。タイトルは、「壁に掛ける石」。インクジェット・プリントアウト。
何点かの作品で構成されている。大きなもので、55cm×40cm。小さなもので、20cm×30cm程度。面白いものだ。壁に石がくっ付いている。岩のように見える石もある。
T.S.の出品作、毎回、意表をついたもの。独創的な作品ばかり。前々回には、額縁を2点出していた。中は、空。からっぽの。もちろん、ただの額縁ではない。とてもユニーク、尖鋭的な。私は、その前にT.S.夫婦を立たせ、写真を撮った。それぞれの額縁に二人の顔が入るような。
忘れちゃいけないので、早めに書いておこう。これらの作品、もちろん、石そのものではない。紙である。インクジェットでプリントアウトした紙を貼り合わせ、型に押しつけ、立体を形造った。
石、そのものの石を。T.S.が、創出した石を。

壁に写る影も美しい。私は、クレス・オルデンバーグを思った。
もちろん、作風はまったく異なる。しかし、天井から下がるオルデンバーグのハンバーグやタワシの作品を。オルデンバーグよりも、よりリアリスティックなイメージのポップだ。いいねー。好きだ。

実は、T.S.の若いころは、知らない。学年が少しずれている上、事情があり、私の学生生活、イレギュラーであった故。だから、よく知り合ったのは、10数年前、グループ展が始まってから。
T.S.、若いころは絵描きをしていたそうだ。しかし、絵描きじゃ食えない。で、アメリカへ行った。どのくらい前に行ったんだ、と聞いたら、もう40年になる、と言っていた。その後、ずっとアメリカ暮らし。
T.S.、こうも言っていた。アメリカでも絵では食えない。初めは、ガーデナーをしていたそうだ。庭師だ。草を刈ったりなんだりと、下働きをしたらしい。その後は、デザイナーとして生計を立て、今は、一線を退いた、という。T.S.、最近は、このグループ展の時だけ、日本へ戻ってくる。嬉しいね。
実は、T.S.、根っからの絵描き。専門家なんだ。だから、初めに、”今日の2人の作品は、力作とは言い難い”、と書いたのも、そういうワケ。

こうして近寄って見ると、やはり、石だな。
リアリスティックな石でもあるし、ポップな石でもある。T.S.の石、凄い石だ。面白い。T.S.の作品、私は、大好き。
7〜8年前のグループ展の時だったか、会期が終わった時、T.S.、作品をボンボン捨てていた。細かく破って。なんて勿体ない、と思い、その一部を貰った。持ち帰った小片を額装し、今、部屋に掛けてある。
今回の作品も、帰る時には捨てていく、という。で、先日、T.S.に、こう言った。「それなら、ひとつはオレにくれ」、と。「いいですよ」、と約してくれた。T.S.、忘れるな。
ところで、T.S.の作品は大好きだが、そのタイトルは、イマイチだ。「壁に掛ける石」ってその通りではあるが、作品の素晴らしさにそぐわない。ベタに過ぎる。
単に、「石」、とした方がよりいいのでは、と思うのだが。

K.Y.の作品。タイトルは、左が「みずしらず」、右が「みずいらず」。パネルにアクリル及びミクストメディア。
何やら、難しい絵だ。困るよ、正直言って。
この作品を見た時、まず初めに私の頭に浮かんだのは、曼荼羅であった。両界曼荼羅だ。
この2点、サイズも違うし、色づかいも違う。仏さまも描かれてはいない。しかし、曼荼羅の世界ではないか、と感じた。ただ、何となく。

白っぽいこの作品、不思議な絵だ。
見え辛いが、中央部には、”水”という字が描かれている。画面の下には、パネルの地が出たようなところがある。塗り残したのか、と思いよく見ると、キチンと色が着けてある。美学理論で、生み出したものか、とも考える。
実は、K.Y.、大学や美術専門学校で、美術を教えている。別の筆名で、評論活動もしている。専門家だ。だからかどうか、ややこしい絵を描く。この絵もそうだ。小学校か中学校の図画の時間のような絵を出した私、まいるな。こういうことをやられちゃ。
実は、私、こういう作品にはヨワイ。いいなーこれっ、て思ってしまう。専門家の範疇に入る男だから、力作とは言い難いが、素晴らしい作品だ。いい作品だ。好きだ。

より近づくと、こうだ。やはり、曼荼羅だ。私には、そう見える。
”水”という字が描かれているが、これは中心佛の大日如来を表している。その周りには、幾つもの円筒状のものが描かれている。
無限の虚空の中に、流動・回転する風輪がある。その風輪の上に、やはり円筒形の水輪と金輪がある。
そこに満たされた香水海の中に、須弥山が聳え立つ。だから、K.Y.、須弥山を、”水”、という一語に置きかえた。違うか、そうではないか、K.Y.。そういうように考えると、より面白くなる。
K.Y.の絵は、面白い。だが、「みずしらず」とか、「みずいらず」とかというそのタイトル、やはりイマイチ、私には。言葉の専門家でもあるK.Y.、練った上でのことではあろうが。
タイトル、名前について、ひと月ちょっと前、K.Y.、こういうことを書いていた。
<日本の古い考えでは、名前とそれが支持する対象とは、現在の記号と指示対象のように、名前と「もの」とが分離してないで、密着していると考えていたようだ。・・・・・なるほど、わたしのように、「名」とは?というようにことばの定義から考えるのではなくて、歴史的な場面から考察していく方が、より生産的だと納得した>、と。
美術の専門家の書くこと、何やらややこしく、解かりづらい。よく読めば、解からないでもないんだが。しかし、K.Y.の作品、そのタイトルの何倍も、いや、三千世界の3000倍も面白い。