空海(続きの続きの続き)。

昨日は、いささか飲み過ぎた。すっかり悪酔いをしてしまった。修業が足りない。
自ら思う。ジジイになっても、人間ができていないな、と。
それに較べりゃ空海、恵果から密教の奥義すべてを、僅か数か月で学びとった。ただ者ではない。オイ、オイ、人間がまったくできていないジジイと空海を較べるなんて、なんてことを打つんだ。それこそ、人間ができていないことの証、ということぐらいは解かっている。
”それに較べりゃ”、というのは、空海のことに戻るための、単なる”接続詞”、と思ってください。
で、空海へ戻る。日本三筆のひとり・空海へ。
東博には、空海の書も幾つかあったが、空海から最澄へ宛てた手紙・「風信帖」が凄かった。王義之の書法に則った書。
特に、その第一信。「風信雲書自天翔臨・・・・・」と書き出される短い書状。上手い、なんて言葉とは別次元。惚れ惚れとする美しさ。流れるような筆法、優美とも言える。しかし、その美しさ、凄絶。
空海、中国(唐)で、書の腕にも磨きをかける。NHKの画面には、『性霊集』の中の、書についての空海の言葉も出てきた。『性霊集』、空海の言葉を、弟子の真済が編纂したもの。

空海、書について、こう言っている。この言葉に続いては、<心にまかせ万物をかたどること>、と言い、続いて、

こう言っている。
能筆家でなければ、言えない言葉だが、まあ、それはいい。これに続けては、こう。
<心を込め四季の景物をかたどり 字の形に万物をかたどる 字とはもともと人の心が 万物に感動して作り出されたものなのだ>、と。
中国で学んだ空海、こういう書体をも持ち帰る。飛白体。

”梵”だ。これは、飛白体ではあるが、まだ解かりやすい飛白体。

”飜”という字。典型的な飛白体。
NHKの番組に出てきた書家の岡本光平、この字の中には、白鳥と龍牙がある、と言っていた。たしかに、そのように思える。
番組の中で、岡本光平、このような文字を空海は、はたしてどのような筆で書いたのか、試みる。革や海綿、フェルト、竹などを使って。最も近かったのは、竹筆であった。
弘法、筆を選ばず。その素材も、選ばずだ。

弘法大師・空海、それに留まらない。独自の字の姿を創っていく。雑体書。
これは、長尺の巻物、「大和州益田池碑名並序」の一部。白く光りがあてられた文字は、すべて、”也”という字である。
やはり、番組に出てきた石川九楊(憶えておいででしょうか。昨年年初のブログ、「日本遺産補遺」の中で、将来必ずや文化勲章を取るであろう、と記した、あの石川九楊です)、書の歴史では、ほとんどこういう書体はない、と言っていた。
空海の発明した書体、空海オリジナルだ。

これは、”日”。

これは、”月”。
空海、自然の姿から、字を創った。

”書”、という字は、こうなる。
両側に長く垂れて、下の方で丸くなっているのは、文字通り、”垂露”というそうだ。
空海、洒落心、遊び心もあった人かもしれない。それ以上に、密教の伝道者・空海、アーティストでもある。

伝空海の「崔子玉(さいしぎょく)座右銘断簡」。
10文字が、書かれている。よく見ると、2文字をつなげて書いている。この書を見て、石川九楊、こう言う。
「この時代、日本には、漢字しかなかった。ひらがなもカタカナも、まだ生れていなかった。ひらがなが生れる直前である。この文字、ひらがなに繋がる」、と。
”伝”と言われているが、この書、空海の直筆に違いないと確信した、とも言っていたような気がする。
空海、唐で学んだ密教の教えを、書にこめた。それは当然、第一義。
岡本光平や石川九楊が言うように、書の改革者でもあった。さらに加えれば、空海、創作家、アーティストでもあった。