そろり。

半月少し前、東博へ映画を観に行った。本館の横、平成館への道の脇に、白くて上品な花をつけている木があった。

この木。沙羅の木だ。ツバキに似た白い花。

「ナツツバキ」、という札が掛かっている。サルスベリのような木肌が美しい。

夏に咲くツバキのような花、ということで「夏椿」と呼ぶそうだが、沙羅双樹の「沙羅」の木。
幹のほうから撮ると、その木の姿、小ぶりではあるが、インドに多くある菩提樹に似ていないこともない。お釈迦さまが悟りを開いたのは、ブッダガヤの沙羅双樹の下。インドボダイジュの下で結跏趺坐して。
祇園精舎の鐘の聲 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす ・・・・・、の沙羅双樹だ。
ところがだ。『平家物語』のこの沙羅双樹は、今の沙羅の木・夏椿のことだそうだが、お釈迦さまがその下で悟りを開いた沙羅双樹・インド菩提樹、とは別物だそうだ。

しかしだ。このように品のいい花の姿を見ていると、どちらも沙羅双樹でいいのじゃないか、という気持ちになってくる。お釈迦さまも許してくれるよ、きっと。

沙羅の花、一輪のみを取り出すとこのよう。
純白で薄い5弁の花、花弁の周りには繊細なギザギザがある。花粉を多くつけた雄しべの色調が、やや濃すぎるキライはあるが。

沙羅の花、一日花だそうだ。
それで多くの蕾をつけているのかもしれない。
     沙羅の花夕べほろびの色こぼし     富塚静
これらの写真を撮ったのは、まだ4時前。亡びには、今暫らくの時があったのであろう。白い花々、まだ落ちてはいなかった。
それにしても一日花、夏に咲く花に多い。朝顔しかり、芙蓉しかり。厳しい時季であるからこその一日花。儚さの漂う花なんだ。
沙羅の花もしかり。白く薄い花びらを見ていると。
まだ咲いているのじゃないかな。一日花を。