男二人。

北島康介は、勝負に出た。金を取りにいった。
準決のタイムは、トップ。決勝では、センターコース、4コースだ。隣りの5コース、ハンガリーのギュルタは後半が強い。ラスト勝負になることは解かっている。初めから飛ばした。100メートル過ぎまでは、世界記録を上回る。ラストまで、ギュルタをできるだけ離しておかなければならない。
150でもリードは保った。しかし、残り25メートルでは迫られ、あと10メートルで抜き去られた。力尽きた。

レース前の北島康介。
銀や銅ではダメ、何が何でも、金を取る、そう言い聞かせていたに違いない。自らの頭に、そして、身体に。日ノ丸を通して見る北島の顔、そう見える。

結果は、銀。
銀メダルを取ったのではなく、金メダルを取れなかった悔しさが表われている。

「100の結果から、よくここまで修正できた。課題も見えた。まだ頑張る」、と話す。最後には、笑顔も見せていた。
悔しさはもちろん、もどかしさも感じているだろう。スタミナが落ちたか、とも。だが、それは笑顔に隠し、ロンドンでのリベンジに燃えるであろう。絶対の力がなくなっている状況であることは、自らが解かっている。
今日も銀を取った、入江陵介のような若手が出てきてはいる。しかし、”日本のエースは、やはりオレ、オレがやらねば”、との思いに揺らぎはないはずだから。
伊良部秀輝が、自死した。
伊良部が、ロッテからヤンキースへ行ったのは、1997年。メジャーの球団を幾つか渡り歩き、5年ほどして日本へ戻ってきた。阪神でも活躍した。その後、戦力外通告を受けた後、またアメリカへ行き、独立リーグへも挑戦している。
日本でも、アメリカでも、ゴタゴタを起こす選手であったが、野球が死ぬほど好きな男であったのだろう。
最近の伊良部が、アメリカにいることも、ロスで草野球をやっていたことも知らなかった。伊良部秀輝のニュースなど、トンと聞かなくなっていた。それが、ロスで草野球を。本当に野球が好きだったんだ。
それにしても、自死は、哀しい。スポーツ選手、ましてや剛速球を投げ込んでいた男であれば、なおのこと、哀しい。
何人もの野球人がコメントを発している。中で、清原和博の言葉が深い。
「つらい、悲しい、苦しい、悲しすぎます」、と清原は言っているそうだ。そうだろう。お互いに、”この野郎”と思って戦っていた仲だもの。そうだろう。
女は、華やぎの時期に美があり、ドラマがある。しかし、男は、ピークを過ぎた下り坂、その終末に、ドラマが待ち受ける。譬え、哀しいものであろうとも。
一概には言えないが、どうも、そうだ。