元はと言えば、1985年のドラフト会議にあったのじゃないかな。

松井秀喜やイチローとその持ち味は異なるが、清原和博もスーパースターである。その清原和博、昨夜、警視庁に逮捕された。
清原和博、今までも薬物疑惑が報じられてきた。それが現実になった。
何十年も前、パンチョ伊東という男がいた。例年のプロ野球ドラフト会議の司会を担当していた小柄な男である。
そのパンチョ伊東、1985年のドラフト会議でこう読みあげた。巨人の1位指名選手の名前を・・・
「桑田真澄、PL学園」、と。
巨人からの指名を望んでいた清原和博、大いなる挫折を味わった。巨人が1位指名した選手が、PLでの盟友・桑田真澄であったことにも。
西武に入った清原和博、毎年ホームランを量産。スーパースターへの道を歩む。
で、1996年、FA権を行使、読売巨人・ジャイアンツへ移籍する。どうして巨人ジャイアンツなんかに、と思う。10年前、裏切られ悔し涙を流した球団なんかに。
清原、ジャイアンツから毎年何億という年俸を貰っていた。野球選手としての清原の稼ぎ、トータル5−60億円となるそうだ。
清原和博、それらのほとんどを費消したそうだ。また、その身体には入れ墨も入れている、という。カミさんとも別れ、子供たちとも別れざるを得なくなった、という。
厳しい。
が、世間の逆風に抗している清原に心を寄せる。
それにしても、1997年、FA権を取得した清原和博、なぜに読売巨人ジャイアンツなんかに行ったのか。自らの、いわば初恋の思いを打ち砕いた球団に。
清原、今の画像でも生きている。
ただ、今思えば、1985年のドラフト会議が、彼・清原和博の人生を決定づけたな、という思いがある。