岡本太郎 100歳(続きの続き)。

実は、2〜3日前から、『今日の芸術』を探しているのだが、出てこない。私が持っているのは、たしか新書判のもの。どこかへ埋もれてしまったらしい。
その代わり、花田清輝の『アヴァンギャルド藝術』が出てきた。1961年に未来社から新装版として出された函入りのもの。この書、元来は、1954年に出されたものだ。花田清輝、つねに対立しながらも友人になった、と書いている猛烈なやつ・岡本太郎の手に落ちてくれるといいが、と「あとがき」に記している。

岡本太郎が、一平、かの子と共にヨーロッパへ渡ったのは1929年、18の時。岡本太郎は、パリに住み、一平とかの子は、ロンドンやベルリンと移り住んでいたそうだ。
<3年後、・・・・・帰国する両親とパリの北停車場で別れた。それが現身の母を見た最後だったのだ>、と『一平かの子 心に生きる凄い父母』に書いている。
ンンゥ、いかに人気の漫画家と歌人だとはいえ、3年間も夫婦連れでヨーロッパを歩いていたなんて。凄い。今、こんなことをしている夫婦連れなんているのかな。いないだろう。
息子の太郎は、父母との手紙以外は日本語を使わず、ソルボンヌで哲学から社会学、やがて民族学に移った、と記している。このころ、ブルトンをはじめとするシュルレアリストたちと交わっている。
1940年、パリ陥落。岡本太郎は、10年余のパリ生活を打ち切り帰国する。兵隊にとられ、中国戦線へ。敗戦後は、また、絵描きの道へだ。
花田清輝らと語らい、「夜の会」を作るのは、1948年。美術、文学、その他、ジャンル横断的な前衛芸術を追い求める集団だ。
花田の『アヴァンギャルド藝術』の中に、「芸術家の制服」という章がある。
岡本太郎のことを評したものだが、句読点の極端に少ない文。読点、テンはあるのだが、句点、マルが少ない。ワンセンテンスで1ページ、という具合。とても読みづらいし、解かりづらい。
例えば、その書き出しは、こういうもの。
<あまりにもおのれを主張しすぎる態度には下品なところがあり、ポーの詩が英語のわかる人間にいささか下品な感じがするのは、・・・・・もしもこの渋好みの先生が、わが岡本太郎の猛烈な作品を、・・・・・不意に総毛立ち、口のなかの唾液がからからに乾いてしまい、もはやとりすました顔つきをして、対象を批評する余裕など、完全に喪失してしまうにきまっているのだ>、というもの。
花田清輝の文章、5分の1程度に削ったが、これで初めてマルが打たれる。読みづらいが、解かることは解かる。その後も、<・・・・・岡本もまた、今日の日本を、いささかも気にしてはいない。・・・・・>、という記述もあり、要するに、こういうことを言っている。
”理解と本能の釣合い”だとか、”黄金の中庸”だとか、”藝術的”だとか、といったものと対峙するもの、それが岡本太郎だ、ということらしい。岡本太郎が言うところの「対極主義芸術」も、<ぎりぎりのところまで激化させていったばあいの表現であろう>、と書いている。
おそらく、花田清輝がこの文章を書いたのは、「夜の会」を作った何年か後、1950年ごろであろう。その後も岡本太郎、同じように突き進んでいった。私から見れば、ドンキホーテのようにも思えるが、本人にしてみれば、とても生真面目に。

岡本太郎、生誕100年、つまり、100歳。100祭、あちこちで行なわれている。
1〜2か月前には、NHKでも4回シリーズのドラマがあった。私は、2回しか見なかったが、二科の総帥・東郷青児とのやりとりなど、そうだったろうな、という場面もあった。
それにしても、岡本太郎、今、若い人に人気があるらしい。私が寄った日の記念館にも、若い人が多く来ていたし、渋谷のパルコでも展覧会があるそうだし。
岡本太郎ブランドの、岡本太郎というキャラクターになった感じだ。

絵描きのアトリエが、その死後、美術館として一般に公開される、ということは多くある。私が見た中での双壁は、パリのギュスターヴ・モロー美術館と、メキシコシティーのフリーダ・カーロ美術館。
ギュスターヴ・モローは、自分が死んだ後は、アトリエ、作品のすべて国家へ寄贈する、という遺言を残した。どうも、モロー、己の作品が公開されることだけを考えて絵を描いていたフシがある。でも、素晴らしい美術館。私の好きな美術館のひとつ。
メキシコシティーのフリーダ・カーロの美術館へは、道を尋ね尋ねやっと辿りついた。
フリーダ・カーロ、コミュニストだ。アトリエの中には、マルクスやレーニンやスターリン、さらには、毛沢東の写真があった。恋多き女、フリーダ・カーロ、スターリンとの政争に敗れ、メキシコへ逃れてきていたトロツキーとは、不倫関係にあった。しかし、美術館には、トロツキーの写真はなかったような気がする。だが、面白い美術館だった。
それはともかく、いかに絵描き本人のアトリエを美術館にしたとはいえ、これほどご本人の写真やフィギュアが多くある美術館は、知らない。あちこちにあった。岡本太郎らしい、と言えば、らしい。

さほど広いものではないが、アトリエの庭。青山の地に、岡本太郎の作品が置かれている。

庭の隅に、こいつもいた。
小さなネコのようなヤツ。可愛いヤツ。