三島を観る(1) 『憂国』。

「史上最大規模の三島映画祭」、と謳う催しが開かれている。先週から来月初めにかけ、3週間に渉り。劇場は、角川シネマ有楽町。

三島由紀夫原作の映画化作品、三島由紀夫の出演作品、代表作から超レア作品まで、三島がらみのほぼすべての映画作品が上映されている。3〜4日毎にラインナップを変えて。
類い稀なる表現者・三島由紀夫、文字表現ばかりでなく、視覚表現にも異常な関心、興味を寄せていたこと、イヤというほど知られている。三島自身が出演している作品、4本を観た。

三島由紀夫が、自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室で割腹、自裁したのは、昭和45年(1070年)11月25日。もう40年が過ぎた。この日のこと、よく憶えている。
森田必勝以下「楯の会」会員4名と共に総監を人質に取り、バルコニーから演説をした。その言葉は、よく聴きとれず、自衛隊員の罵声と怒号にかき消された。当時、碌なことをしていなかった私は、リアルタイムでのテレビ映像を見、驚き、気が高ぶった記憶が鮮明にある。
三島由紀夫、自衛隊に決起を促した。アナクロだ。誰しもが、そう思った。私も。何故、どうして、と誰もが思った。その内、ノーベル文学賞を貰うであろう三島由紀夫が何故に、と。しかし、予兆はあった。

4本観た三島由紀夫の出演作の内、何と言っても、まずはこれ。『憂国』。
40年以上前にも観たが、まずは、久しぶりのこれ。
演出こそ堂本正樹に任せているが、監督、制作、原作、脚色、美術、主演、すべて三島由紀夫。三島由紀夫の、三島由紀夫による、三島由紀夫の為の映画である。
わずか28分のモノクロ映画。台詞も一切ない。バックに流れる音は、ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」のみ。しかし、これこそ、三島由紀夫が残したかった映像だ。
映画『憂国』、三島の短編『憂国』を、忠実になぞっていく。
新婚間もないからと、2.26の決起軍から外された、近衛歩兵第一聯隊勤務武山信二中尉の、懊悩の果ての割腹自殺と、夫君に殉じたその夫人の自刃の様、濃密に描かれる。
とりわけ、割腹の様が。その3年後、自衛隊市ヶ谷駐屯地での三島自身の割腹も、かくや、と思わせる映像だ。
本棚から『憂国』を引き出した。私が持つのは、『英霊の聲』(昭和41年、河出書房新社刊)に入っているもの。ハードカバーの表1も表4も、ケースの表も裏も、すべて鳥居が描かれている。靖国神社の大鳥居であろう。
『憂国』、『英霊の聲』、戯曲『十日の菊』と共に、2.26三部作、と三島が言うもの。
<などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし。などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし。・・・・・>、とルフランされる『英霊の聲』の魁となった作品。
この書の後に、「二・二六事件と私」という章がある。その中で、三島由紀夫、こう書いている。
<私の精神状態を何と説明したらよかろうか。それは荒廃なのであろうか、それとも昂揚なのであろうか。・・・・・それがやがて二・二六事件の青年将校たちの、あの激烈な慨に結びつくのは時間の問題であった。なぜなら、二・二六事件は、無意識と意識の間を往復しつつ、この三十年間、たえず私と共にあったからである>、と。
割腹も、三島由紀夫の美意識。しかし、三島の美意識の行きつく果ては、”すめろぎ”のこと。明日、続けよう。