三島を観る(2) 『憂国』(続き)。

私は、時折りこう思う。
昭和天皇は、「三島由紀夫は、困ったヤツだな」、と思われていたに違いない、と。

三島由紀夫の2.26三部作が収められた『英霊の聲』の巻末「二・二六事件と私」に、三島由紀夫、こう書いている。
<二・二六事件の将校にとって、・・・・・大御心に叶う所以だと信じていた。しかもそれは、大御心に叶わなかったのみならず、干犯者に恰好な口実を与え、身自ら「叛軍」の汚名を蒙らねばならなかった>、と。
さらに、
<・・・・・私はどうしても天皇の「人間宣言」に引っかからざるをえなかった>、とあり、
続けて、
<昭和の歴史は敗戦によって完全に前期後期に分けられたが、・・・・・そのとき、どうしても引っかかるのは、・・・・・天皇御自身の、この「人間宣言」であり、この疑問はおのずから二・二六事件まで、一すじの影を投げ、影を辿って「英霊の聲」を書かずにはいられない地点へ、私自身を追い込んだ>、と記す。
三島由紀夫が、あちこちでさまざまに語った国体論、天皇制に関する考えは、揺らいでいない。とても、レアケースな考え方ではあるが。しかし、昭和天皇に対しては、その思い、微妙に揺れている。
特に、二・二六の決起軍を”賊軍”と断じたことと、敗戦後の”人間宣言”。これだけは、許せなかった。
『英霊の聲』を探した時、その周辺の書も何冊か出てきた。

『尚武のこころ』(昭和45年、日本教文社刊)は、三島由紀夫の対談集。三島が、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自裁する2か月前、昭和45年の9月に刊行されている。
鶴田浩二、高橋和己、林房雄、堤清二、野坂昭如、寺山修司などと語っている。主に、自死の1年前前後。
石原慎太郎との話が面白い。タイトルは、「守るべきものの価値 われわれは何を選択するか」、というもの。石原慎太郎、この頃は参議院議員になっている。
三島から、「あなたは何を守ってる?」、と聞かれた慎太郎、「ぼくはやはり自分で守るべきものは、あるいは社会が守らなければならないのは自由だと思いますね」、と答える。
三島は、こう言う。「おれは、最後に守るものは何だろうというと、三種の神器しかなくなっちゃうんだ」、と。「三種の神器って何ですか」、との慎太郎の言葉に、「宮中三殿だよ」、と三島は応える。
天皇についても、三島と慎太郎、言を異にする。同じライトウィングと見られている三島と慎太郎、その立ち位置は異なる。
三島の言うこと、解かりやすい。「ぼくは天皇というものをパーソナルにつくっちゃったことが一番いけないと思うんです。戦後の人間天皇制が一番いかんと思うのは、・・・・・」、と首尾一貫している。明快ではあるが、これじゃ100人中97〜8人は、拒絶反応をみせるだろう。第一、天皇御自身が、お困りになる。
この書のこの後の村上一郎との対談の中で、三島、こう話している。「石原慎太郎に笑われちゃった。・・・・・いや、石原と小田実って、全然同じ人間だよ、全く一人の人格の表裏ですな」、と。これには、私の方が笑っちゃった。
昭和45年5月、日本教文社から刊行された、全国学協編『”憂国”の論理』も出てきた。会田雄次、福田恒存といった当時のライトウィングの論客たちの文章を纏めたものだ。
念のために記すと、”全国学協”とは、全国学生自治体連絡協議会の略称。民族派の学生組織である。ついでに言えば、日本教文社は、生長の家関連の出版社。生長の家、単なる宗教団体ではない。政治活動も盛ん。たしか、国会議員当時の石原慎太郎も、バックアップを受けていたはずである。
この書には、三島由紀夫の「日本の歴史と文化と伝統に立って」、という講演記録が掲載されている。昭和43年12月、乃木会館で、民族派の学生たちに対して講演した時のものだ。
三島由紀夫、「未来というものはない」、と民族派の学生たちに話す。
「”未来に夢を賭ける”ということは弱者のすることである」、と言い、「未来を所有している人間というのは、棺桶に片足を突っ込んだ人間のことを言うのです」、とも。この話を聴いた右翼・民族派の学生たち、三島の言わんとしていることを理解し、実践したであろうか。
おそらく、そうではあるまい。三島由紀夫の言うこと、明快ではあるが、実践となると難しい。自ら腹を切る男、何十年に一人しかいないのだから。
今ではほとんど知る人も少なくなったのだろうが、林房雄という人は、鋭い人だ。久しぶりで読み、改めてそう思った。
三島由紀夫と林房雄による『対話・日本人論』(昭和41年、番町書房刊)、面白い。
林  あなたの『英霊の聲』についてもっと話たい。あの作品によれば、戦後の空洞化と頽廃は、天皇の人間化によって生じている そうとれる面がある。
三島 そうですよ。
林  ではなぜ戦前に腐敗が起こったか。二・二六の青年将校を決起させるようなあの腐敗が起こったのか。神格天皇のもとでも腐敗は起こったではないか。
林房雄と三島由紀夫の間に、濃密な対話が続く。
終わりの方に、「自殺の能力」という個所がある。
林  自殺の能力もなくなると、ただ生き延びるらしい。つらいね。
三島 自殺にはそれなりのチャンスがあるらしいな。
というやりとりが出てくる。
皆、死に時を見計らっているらしいな。国体や、天皇のことが常に頭から離れない人たちは。
映画『憂国』が、小説の『憂国』と唯一異なっているのは、能舞台を模した設定になっていること。背後の墨痕鮮やかな「至誠」の二文字は、同じ。三島は、その「至誠」の前で死にたかった。これは、おそらく、そうだろう。
では、何故か。
肉体の衰えに対する恐れ、これは確か。鍛え上げた筋肉が落ちないうちに死にたい、と考えていただろう。自らが思う国体、天皇制が、逆方向へ流れていく無念さもあっただろう。
私が考える三島由紀夫の自裁の原因は、ふたつ。
そのひとつは、必要以上の左右対決意識。三島が思うほど、右翼も左翼も腹を据えてはいないのに、だ。
あとひとつは、切腹、割腹への異常な憧れ。自ら築いてきた美を完成させるには、割腹以外それはない、と考えたであろう。
結局は、三島由紀夫、美を追求し続けた表現者であった。