ビンラディン、水底へ。

ワシントン時間の昨日深夜(日本時間、今日昼)、バラク・オバマは、「オサマ・ビンラディンをついに殺害した。正義は遂行された」、と発表した。
9.11から10年、アメリカの執念、ついに成し遂げられた。ホワイトハウス前、また、ニューヨークのグラウンド・ゼロやタイムズスクェア、深夜にもかかわらず多くの人が集まり、USAコールと星条旗に包まれている。
オバマは、確実に得点を挙げた。
昨年8月、確度の高い情報を得た、という。内偵を続け、確証を掴み、4月29日、オバマは襲撃決行の指示を出したそうだ。知るのは、ごく限られた腹心のみ、イギリスにさえ事前に告げず、アメリカによる単独行動。CIA主導による特殊部隊が地上とヘリで攻撃、ビンラディンと盾となった4人を殺害したそうだ。
銃撃戦は、40分間。ビンラディンは、頭を射ぬかれた、という。
ビンラディンが潜んでいるのは、アフガン国境に近いパキスタンの山岳地帯、と言われていた。タリバーンの影響力が強く、結束の固いパシュトゥン人が多く住み、さらに、パキスタン政府も手出しができない地帯だと。
それが、パキスタンの首都・イスラマバードの近郊の町だったことには驚いた。イスラマバードから5〜60キロの町。アボタバードというその町、パキスタンの軍関係の施設も多くあるところだそうだ。完全に、裏をかいていたことになる。
今日のニューヨークタイムズの電子版、もちろん、これがらみの記事ばかり。写真も多く出ている。
しかし、さすがニューヨークタイムズ、演説をするオバマや、ホワイトハウスの前やタイムズスクェアで歓喜するアメリカ人の写真と共に、カブールのモスクで、ビンラディンの死への特別礼拝をするものや、パキスタンのクエッタで、イスラム原理主義者の団体が抗議デモをしている写真も載せている。
こうであるから、アメリカは強い。
ついでに、アルジャジーラ(Al Jazeera)のウェブサイトも見てみた。

アルジャジーラでも、もちろん、トップ。
アルジャジーラ、いつもその時のトップ記事がらみのものを、アイキャッチとして題字の横に載せている。これは、今日のアルジャジーラの題字横の写真とネーム。記事もいっぱいあるから読んでくれ、と書いてある。

サウジアラビアを代表するゼネコン経営者の息子、オサマ・ビンラディンが、超大国との戦いに身を投じたのは、1979年。旧ソ連のアフガン侵攻時、アフガンのムジャヒディンを支援するイスラム義勇兵として、アフガンに渡り、ソ連軍と戦った。アメリカのCIAの後押しを受けたゲリラ戦を。
ビンラディン、金持ちの親父の金を使い、ジハードを唱える聖戦士を組織化していく。アルカイダだ。長い激闘の末、ソ連軍はアフガンから撤退、ソ連自体も崩壊する。1991年、湾岸戦争が勃発する。
米軍によるイラク攻撃。ビンラディンの母国・サウジアラビアは、米軍への基地使用を認める。イスラム国家への攻撃にイスラム国家が肩入れする。ビンラディン、祖国と決別、今度は反米に転じる。
タンザニア、ケニアの米国大使館爆破事件を経て、ニューヨークのワールド・トレード・センター、9.11テロへと突き進む。
考えてみれば、一個人が、米ソという超大国に戦いを挑んだ、とも言える。ただ、手段を選ばなかった。一般人を巻きこむ戦いをした。罪もない多くの人を殺した。その行ない、やはり、万死に値する。
命に関わることではないが、私も手ひどい扱いを受けたことがある。何年か前、パリからブリュッセルへのTGVの中で、3人組の公安から荷物をひっくり返されたことがある。そのような扱いを受けたのは、中東系の男と私のふたりだけ。その時乗っていたのは、1等車。他の多くの人は、白人だった。
非白人に対するレイシズム、人種差別か、と思ったが、実際はヨーロッパの国々、アルカイダのテロ、極端に恐れ、ピリピリしていたのだろう。

アメリカは、勝った、というボードを持つ人。

この写真の男は、おそらく、ムジャヒディン(イスラム戦士)。キャプションには、アメリカとアルカイダの長い戦い、と記されている。が、ビンラディンが殺されても、その報復は続くであろう。
ビンラディン、水葬に付された、という。イスラムの土葬の慣習にそぐわない方式。海の底深く沈め、その場所を特定できなくしたものであるらしい。
22〜3のころから超大国と戦ってきたビンラディン、54歳で死んだ。