異空間、なんだけどもな。

理事長の放駒、沈痛な表情で、こう語る。「いわば仲間、それをこれほど多く処分するのはつらい」、と。
日本相撲協会の八百長問題、協会は、今日、大量の処分を下した。現役幕内力士6名、十両8名、幕下以下年寄り含め9名、計23名。監督責任を問われた親方17名を含めると、合計40名になる。クロと認定された力士、土俵を去らねばならない。
今回の決定、特別調査委員会が検察官、理事会が裁判官、理事長が裁判長、と言えるだろう。ただし、弁護士はいない。容疑者とされた力士たち、自己弁護しか方法はない。立証にたるものは、当初から八百長への関与を認めた3人の力士の証言と、ケイタイのみ。
確たる証拠は少ない。通常の裁判ならば、おそらく、公判維持は難しかろう。それでも、”疑わしきはシロ”、ではなく、”疑わしきはクロ”、となった。引退勧告を受け、角界から追放される力士たち、みな「私は、やっていない」、と言っている。気の毒だ。
多くの相撲好きと同じく、私も、彼らはウソをついているに違いない、と思っている。八百長相撲を取っただろう、と思っている。しかし、やはり、気の毒な思いがある。なぜなら、大相撲の世界、そういう世界だったのだから。
2月初めに発覚した大相撲の八百長問題、当初は、十両と幕下の待遇格差に原因がある、と思っていた。100万かゼロか、という格差に。一因は、そこにある。しかし、今日の処分には、幕内力士も含まれている。私は、これには驚かない。そうだろう、と思う。
しかし、引退勧告を下された6人の名を見て、少し考えた。白馬、徳瀬川、光龍、猛虎浪、この4人は、モンゴル出身。春日王は、韓国出身。日本人は、琴春日のみ。今日の処分には入っていないが、中国出身の蒼国来、グルジア出身の臥牙丸の名も漏れてくる。
今の大相撲、外国人が支えている。屋台骨を背負ってるのは、モンゴル人の横綱・白鵬であり、大関以下の三役、過半は外国人である。だが、役力士になるまでの外国人力士、さまざま厳しい面があるのじゃないか、そう考える。
大相撲の世界、番付一枚違えば、天と地、と言われている。確かに、そういう世界ではあるだろう。しかし、前頭とはいえ、三役に定着できない状態の外国人力士にとっては、日本社会、大相撲の世界で生きてゆく上では、やらねばならない暗黙の了解事、あったのじゃないか、と考えてしまう。
十両と幕下の待遇格差は、八百長の温床のひとつ。それは、確か。しかし、それとは別の問題も、と考える。疑わしい幕内力士のほとんどが、外国人力士である、ということを知ると。
放駒、今日も、「過去に八百長はなかった、という認識は変わらない」、と言っている。今さら、前言を翻すことはできない、その心情は理解できるが、その内、堪えきれなくなるのじゃないか。十両と幕下、また、前頭の力士ばかりじゃなく、役力士においても、ということ、あったのだから。
いい悪いじゃなく、それが大相撲の世界だったのだから。
放駒に問いたい。あなたは、大相撲をホントに真正スポーツにしようとしているのですか、と。
現実は、どうもそのようだ。そう考えているようだ。メディアも町の声も、みなそう言っているので。それが、正義の声だろう。だが、私は、考えを少し異にする。
大相撲、スポーツには違いない。しかし、それのみじゃない。日常空間を離れた異空間を楽しむものでもある。日常世界とは異なるさまざまなドラマを。

大相撲ぐらい、そのようなものを残しておいてもいいのじゃないか。今日の断、冥界の尾崎士郎や高橋義孝が聴いたら、嘆くだろう。
また、顰蹙を買うかな。こんなことを言うと。かまやしないが。