唐招提寺金堂三尊(続きの続きの続き)。

CGで、1200年前の色を復原すると、こういうものになるそうだ。3日前のBSTBSの番組から。

新しく造られた仏像、原色と金色、というのが通り相場。唐招提寺金堂の三尊も、その例に漏れない。
だが、これではありがたみがない。勘弁してくれ、止めてくれ、という色調だ。

盧舎那佛もこんな色に。見たくないな、私は。
当初の色彩が褪せ、金箔は黒ずみ、年を経るうちにはあちこち欠損も出て、金仏の場合には戦火をくぐった跡もある、そういう仏像こそ美しい。厳かで、奥が深くて。だから、アジア諸国の中、日本の仏像が最も美しい、と私は思う。

2009年11月1日から3日にかけ、落慶法要が営まれた。
約10年をかけた平成の大修理が成った金堂の前で、舞楽初めさまざまな慶讃法要が行われた。

それに先立ち、鑑真和上像が、普段のお住まい、御影堂から運び出される。
チョッと、けつまずいてころんだらどうするんだ、というような感じで持っていた。注意はしているのだろうが、心配した。

金堂の開眼開扉がなされると、何と、本尊・盧舎那佛坐像の前に、鑑真和上の像が安置されている。
凄い。このツーショット、唐招提寺でなければできない。その唐招提寺でも、このような試みは、おそらく、初めてのことではなかろうか。ともかく、スゴイ、としか言えないようなツーショットである。

5度にわたり渡航に失敗、唐僧・鑑真が日本へ着いたのは、天平勝宝5年(753年)。示寂されたのは、天平宝字7年(763年)。
そのすぐ後に、この像は造られたらしい。日本最古の肖像彫刻、やはり、脱活乾漆仏である。
<像は、瞑目して、禅定印をむすんでおられる。両眼の明を失った和上の御影だから、瞑目しておられるのはあたりまえかも知れないが、これはまた伝えられる和上遷化のさまともみえる>、と唐招提寺のパンフレットにはある。
何人も、この閉じられた眼に、惹き寄せられる。

夜間も、金堂の扉、開かれた。
列柱を通して見る、千手観音立象。

本尊・盧舎那佛坐像。

そして、薬師如来立象。
夜陰に浮かぶ三尊、えも言われぬ美しさである。

やはり、蓮で終わりとしよう。