ヴィム・ヴェンダースの鑑真。
仏像の中に、いわば高僧ジャンル(もちろん、こんな呼び方はありません。私が勝手にそう呼んでいるだけです)、とでもいえるものがある。偉いお坊さんの生前の姿を刻んだものである。。
高僧の遺徳を忍んで後世に残されたもの。これらのもの、おしなべて、私はあまり好きではない。好き嫌い、というより、さほど美しいと思えないからである。仏像というもの、好きか嫌いか、とか、美しいかそうでないか、なんてこと以前に、信仰の対象であることが第一義であることは、解かった上での話であるが。
その中で、鑑真の像だけは別である。瞑目する鑑真和上のこの像だけは、単なる肖像彫刻、”高僧ジャンル”の仏像を超えたものである。我々に多くのものを訴えかける、伝えてくれる。そういう感じを抱く。別格の”高僧ジャンル”の仏像といえる。
唐招提寺での、年にわずか3日のご開帳、私は行きあったことはない。何年か前、東京へ出開帳でお見えになった折り、ただ一度だけお目にかかっただけである。しかし、写真では、数多くお目にかかっている。
小川晴暘、入江泰吉、土門拳、藤本四八・・・・・、これら奈良の仏像を撮っている名だたる写真家の作品で。もちろん、多くは書物の中でのことである。
中でも私は、ヴィム・ヴェンダースが撮った鑑真和上が好きである。ヴィム・ヴェンダースが撮った写真、私の机の前に懸けてある。他のさまざまなガラクタと共に。これが素晴らしい。
5年前、表参道ヒルズができたすぐ後、地下のホールで、ヴィム・ヴェンダースと彼のカミさんのドナータ・ヴェンダースの写真展が開かれた。おそらく、その時に求めたもの。求めたなんて言うもおこがましい、100円か200円で買った絵ハガキだ。それを小さな額に入れてある。これである。
ヴィム・ヴェンダース、映画監督として多くのファンを持つ(私も、そのひとり)が、写真家でもある。
鑑真和上像の上半身のみを撮っている。しかも、その顔に焦点をあて。映画監督らしく、光ということが頭にあったようだ。
鑑真和上のお顔、示寂、遷化のさまを写したもの、と言われている。
鑑真が遷化したのは、天平宝字7年(763年)の旧暦5月6日。鑑真、76歳の時である。
静かで清らかとも言えるが、力強さも感じる。10余年にわたり何度も海難に遭いながら、6度目にして渡海を成し遂げた鑑真、その精神はもとより、頑丈な身体をお持ちであったのであろう。遷化時のこの顔つきを見れば、それが解かる。
ヴィム・ヴェンダース、奥深さばかりでなく、鑑真の力強さをも写し撮っている。
本棚の隅に、『日本の顔』(昭和28年、毎日新聞社刊)、という四六判の小さな写真集を見つけた。
60年近くも前の本であるから、おそらく、4〜50年前、古本屋で買ったものだろう。引き出すと、カバーにかかっていたパラフィン紙の背の部分が、パラパラと崩れ落ちた。3分の2ばかりが、破れるのではなく崩れ落ちた。ページを繰っていると、今度は、本文がクロス装のハードカバーの表紙から取れてしまった。定価350円、となっている。古い本だ。昭和28年、製本技術、今とは異なる。
これが面白い。
総論を、谷川徹三が書いている。土偶から安井曾太郎が描く横山大観まで、121の”日本の顔”が選ばれている。聖徳太子像や、能面や、写楽の役者絵などが。すべてモノクロ写真で、学者連中の解説が加えられている。
鑑真和上像もある。その解説は、上野照夫という当時の京大教授が書いている。こういうように。少し長くなるが、専門家の言葉を引く。
<六朝の中国画家顧緂之に、伝神写照は阿堵のうちにあり、という言葉がある。伝神写照は肖像のことで、阿堵はひとみのことである。だから右の意味は、肖像を生かすも殺すも目つきひとつだということになる。そうなるとこの像などは失格だ。しかし事実そうでないことは、この盲目の顔つきに無限の表情がこめられていることで明らかである。実に安らかな悟りきった表情、それでいて、列々たる気魄が枯淡な容貌に深くきざみこまれている。・・・・・>、と。
ヴィム・ヴェンダースが写し撮った鑑真和上像、この学者が言っていることに近い、と思わないでもない。
これは、ヴィム・ヴェンダースではない。昨年7月、私が撮った唐招提寺の蓮。