唐招提寺金堂三尊。

奈良遷都1300年、BS開局10周年に合わせ、昨秋から放送されていたBSTBSの、「遷都1300年 唐招提寺物語」、今日の第17回で、一応終わった。観ていない回も多いが、天平の技を今に引き継ぐ匠たちの技を追っていた。
1999年から2009年秋の落慶法要まで、足かけ10年に及ぶ金堂の平成の大修理。その模様を追いかけたドキュメンタリー、面白かった。
遷都1300年の昨年、奈良には丸3日滞在し9カ寺を巡ったが、イの一番で行ったのは、唐招提寺であった。金堂の大修理で東京へ出開帳に来られた時には、東博でお目にかかってはいるが、本尊・盧舎那佛に金堂で10年ぶりでお会いしよう、と。
昨年1月の「日本遺産補遺 仏像」の時にも書いたが、私の好きな仏像ベスト3は、飛鳥寺の丈六の飛鳥大仏(釈迦如来坐像)、室生寺金堂の十一面観音、それに、唐招提寺金堂の盧舎那佛坐像である。
しかし、仏像の姿は、撮ることができない。昨年7月に「奈良の寺」を連載した時にも、撮影が許されている飛鳥寺以外、仏像の写真はない。多くは、堂塔伽藍、建物の写真のみである。唐招提寺も。
先週放映されたBSTBSの映像から、唐招提寺金堂の三尊の姿を載せる。

大修理が成った金堂に戻った三尊。

本尊・盧舎那佛坐像。脱活乾漆像。
昨年も触れたが、和辻哲郎は、その著『古寺巡禮』の中で、この仏に対しさほどの思いを込めていない。不思議である。
金堂そのものについては、<正面から見るとこの堂の端正な美しさが著しく目に立つ。・・・・・従ってこの曲線の端正な美しさは・・・・・。その意味でこの金堂は東洋に現存する建築のうちの最高のものである>、とメロメロであるが。

千手観音立象。木心乾漆像。
和辻哲郎、この仏に対しては、印象を新たにしたらしい。こう記している。<この像だけはその印象の鋭さが本尊盧舎那像や左脇士薬師如来の比ではない>、と。
なぜなのか、これも不思議だ。

薬師如来立象。木心乾漆像。
実は、この像のみお顔が小さい。後ろだてが居なくなったからだ、という。仏像の世界も、人間ドラマが重なるのだ。
唐招提寺金堂の三尊は、天武天皇の孫・智怒王が造仏を進めたそうだ。智怒王、鑑真のもとで戒を授かり、鑑真没後、その教えを残すためそうした、という。しかし、智怒王、完成を待たず死ぬ。で、後ろだてを失った薬師如来の造仏は、縮小された、ということらしい。

盧舎那佛。いいな。

その光背には、千体佛。

目。

唐招提寺には、蓮の花がよく似合う。去年、私が訪れた時にも、唐招提寺蓮、咲いていた。