奈良の寺(1) 唐招提寺。

夕刻、選挙へ。雨が降っていた。
名古屋場所が始まったが、中継はなし。
結果だけを知らせればいいってものではない、相撲ってものは。一昨日書いたので繰り返さないが、声なき普通の人の痛みを感じぬNHK、不粋だ。
先週末から今週初めにかけて訪れた、遷都1300年、奈良のお寺について暫くの間連載する。
まずは、何を措いても、唐招提寺。
昨秋、10年に及んだ金堂の平成大修理が終わった。金堂の修理中には行った記憶がない。ということは、少なくとも、10年以上行っていなかったことになる。
この間、金堂のご本尊、盧舎那佛坐像が、何年か前、東京へ出開帳に来ていた。たしか、光背を取ったお姿だったような憶えがあるが。しかし、仏像は、本来の堂塔伽藍の中にあってこそ。久しぶりに、金堂内陣におわします盧舎那佛、そして、その左手におわす千手観音立像、右手におわす薬師如来立像、の天平仏三体にお会いした。

唐招提寺といえば、何といっても、この金堂だ。
端整で美しい列柱、どっしりとした格調高いお堂。鑑真和上示寂のすぐ後、和上に従って渡来した、弟子の如宝が主となって建立した、と言う。天平時代の金堂だ。
天平の甍、お堂の屋根が重たい、という人もいるが、そんなことはない。それが、落ちついた美しさを醸し出している。
そんな単純な私の感じ取り方より、この人の言葉を引こう。90年以上前の、和辻哲郎の言葉を。
<・・・・・さらにこの屋根とそれを下から受ける柱や軒廻りの組物との関係には、数へきれないほど多くの繊細な注意が払はれてゐる。・・・・・しかし屋根の曲線の大きい静けさもこの点にあづかって力があるであろう。・・・・・従ってこの曲線の端正な美しさは東洋建築に特殊なものと認めてよい。その意味でこの金堂は東洋に現存する建築のうちの最高のものである>、と。
90年以上にわたりロングセラーを続けている、和辻哲郎の名著『古寺巡禮』(大正8年初版、岩波書店刊)の中の、和辻の言葉である。
たしかにそうだ。正面から見つめた、落ちついたその姿は。
和辻哲郎、金堂の美しさについては、ゾッコン参っている。しかしだ、その金堂の本尊、私の好きな盧舎那佛坐像に関しては、こんなことを言っている。
<この盧舎那佛に対しては、実をいふと、わたくしはこれまで感動したことがなかった。いかにも印象の鈍い、平凡な作で、この雄大な殿堂に安置されるにはふさはしくない、と感じてゐた。・・・・・堂の美しさに圧倒されて目立たなくなってはゐるが、天平末期の普通作としては優れた方である>、と。
ウーン、天平の普通作としては、か。そんなことはない。いかに大哲学者の和辻哲郎の言葉でも、この言葉に肯くことはできない。素晴らしい仏さまだよ、この盧舎那佛坐像は。和辻哲郎が何と言おうと。私は、そう思う。

金堂東側の軒組。
10年に及んだ平成の大修理では、一旦はすべて更地にした。その上で、材木にしろ瓦にしろ、従前のもので使えるものはすべて利用し、新たに組み上げた。金堂の前にいたお寺の人に聞いたら、そう言っていた。

金堂正面の左側。優美な列柱。

フト気づくと、柱の下には、このような小さなものが付いていた。
今回の大修理の際に付けられたものだろう。どういうものなのかは分からない。先ほどの人に聞こうかと思ったが、その時には見あたらなかった。なにか、歪みか何かを測るものなのだろうか。

金堂の屋根。鴟尾が見える。
なお、手前の屋根は、細長い礼堂・東室の屋根。

鐘楼から鼓堂を見る。
小ぶりで2層の鼓楼には、鑑真和上将来の仏舎利が納められている。だから、舎利殿とも呼ばれる、という。

旧開山堂の前にある、芭蕉の句碑。
<若葉して おん目のしずく ぬぐはばや>の句である。

長い礼堂・東室の間には、馬道(めどう)と呼ばれる通路がある。その馬道から見た校倉の宝蔵。

本坊の入口。この中に、蓮の鉢がある。

本坊の前の蓮。
直径7〜80センチの鉢に植えられている。その鉢には、唐招提寺という文字が書かれている。

私が唐招提寺へ行ったのは、4日の午前。その時の開花状況は、まあ咲いているところで、このようなものであった。
その2日後、6日の奈良新聞の一面にこういう記事があった。
唐招提寺の蓮が咲いてます、とあり、写真も添えられていた。
その記事によれば、唐招提寺には、鑑真和上将来の唐招提寺蓮、インドのネール首相が薬師寺の橋本凝胤師へ贈ったネール蓮、古代蓮として知られる大賀蓮など、約50種80鉢が本坊の玄関の前にあり、7月一杯楽しめる、と。
鉢植えの唐招提寺の蓮、おそらく、今日あたりが見頃なんだろう。

中へは入れないが、この奥左側に鑑真和上の坐像が安置されている御影堂がある。
鑑真和上が示寂されたのは、天平宝字7年(763年)5月6日。その日を新暦の6月6日に当て、その日の前後の3日間のみ、和上の像が公開される、という。だから、今回は、鑑真和上のお姿にはお目にかかれなかった。私が、そのお姿を拝したのは、いつだったか東京に出開帳にみえた時、1度のみ。

鑑真和上の御廟は、この小さな門を入ったところにある。

その御廟。

そのすぐ脇に、こういう石碑がある。「趙撲初居士之碑」と書いてある。
後ろの茶色く見える石の表には、建立協力金奉納者名が彫りこまれている。唐招提寺初め、日本の著名寺院の名がある。日本のお寺のオールスターのように思える。
この趙撲初という人、中国仏教協会の会長であった人で、日中仏教界の交流、日中友好に多大な貢献をした人だそうだ。日本の仏教界、宗派を超えて、鑑真和上の御廟の脇に、碑を建てた由縁、解かる。

鑑真和上の御廟の周り、季節がらもあり、苔が美しかった。その表面を撫でたいぐらい。

新宝蔵。
宝蔵といい、何とか館といい、いわゆるその寺の宝物を納めている建物は、私はあまり好きではないが、唐招提寺の宝蔵はいい。
久しぶりに、如来形立像にお目にかかった。頭と腕のないこの仏さま、なんとも言えぬ。ただ、美しい、としか。
丈六の大日如来坐像も、どっしりとした大らかさ。いくつかある、木心乾漆の仏頭も、とても優しい美しさを感じる。

帰途、金堂初め、堂塔伽藍を振り返る。
金堂があり、その奥には講堂があり、その前には鼓堂があり、その右手には礼堂が見える。
この見えている金堂の東側の屋根には、天平から鎌倉にかけての古い瓦が、最も多く残されているそうだ。
唐招提寺、好きな寺だ。
ところで、明日未明のW杯決勝、どうしようか。
未明の日本対デンマーク戦の時には、頑張って起きていたが。