七仏薬師。

把瑠都は、今日も勝ち、これで12勝。大関昇進、9割方決まった。エストニアでは、喜んでいるだろう。
今夜のNHK、新薬師寺の失われた金堂の話をやっていた。タイトルは、「復元 幻の大寺院〜新薬師寺・天平の謎に挑む〜」。
新薬師寺は、光明皇后によって、その夫である聖武天皇(昨日、何年か前、たまたま東大寺へ行ったら、千二百五十年御遠忌法要が行われたすぐ後で、その時撒かれた散華の紙片を、何枚か拾ってきた、と記した、その天皇だ)の病気回復を願って建立された、とされる寺である。
少し横道に逸れると、光明皇后は、仏教の庇護者であるばかりでなく、ハンセン病など難病を患う人の庇護者でもあり、能書家でもある。さらに、聖武天皇の死後、その遺品を東大寺に献納し、それが、今に伝わる正倉院の礎にもなった、という何とも桁外れな傑物である。それはそれとして、
その金堂は、応和2年(962年)、台風で倒壊した為、その位置さえ解からなかったそうで、平城京最後の謎、と言われていたそうだ。それが、2008年秋に遺構が発見され、発掘、研究が進められた。創建時の伽藍はどのようなものであったのか、その内部には、どのような仏が配されていたのか、をCGで再現している。
専門家たちの研究によると、今はなき金堂は、世界最大の木造建築である、東大寺の大仏殿をはるかに凌ぐものであり、7体の薬師如来が祀られていたという。もちろん、脇侍はじめ、他の仏たちも。
NHKの画面、少し引いてみる。

CGで再現した、金堂創建時、安置されていたであろう、7体の薬師如来。

金堂内部。脇侍を従えた薬師如来が7体並ぶ。
それにしても、当初の仏像は、皆そうであるが、金ピカである上に、ハデな原色で彩られている。いつも、”何故に”、と思うのだが、ありがたい仏の世界というものは、こういう原色で表わす必然性があったんだな。
なお、左の方に見えているのは、大きな灯架。

現在の新薬師寺の本堂に祀られている、本尊の薬師如来。
平安時代初期のものだとされる。
新薬師寺創建当時の7体ではなく、1体のみの薬師如来である。だが、その光背には、6体の化仏が配され、像本体と合わせると、七仏薬師を表わしている。