唐招提寺金堂三尊(続き)。

京大や早稲田で、新手のカンニングを仕掛けた受験生は、すぐに”御用”となりそうだが、そう日をおかず決着がつくと思っていたカダフィは、なかなかしぶとい。
”御用”になるどころか、今日は、反体制派に奪われていた都市の奪回作戦まで展開している。戦闘機や攻撃用ヘリを使って。ますます”人道に対する罪”、重くなっていく。しかし、欧米諸国の対応は、必ずしも一致してはいない。カダフィ政権、潰れるには違いないが、暫く時間はかかる模様。
で、昨夜放映されたBSTBSの「遷都1300年 唐招提寺物語」、第17回のことを記す。昨日が最終回ということもあるのか、なかなか興味深い場面が多かった。以前に見たような場面もあったが、いわばエッセンスを凝縮したのであろう。
今日は、本尊である盧舎那佛について。

私の好きな仏さまのひとつである唐招提寺の盧舎那佛、さまざまなアングルで見せてくれた。

天平、1200年から1300年前の奈良時代には、木造仏よりも乾漆仏の方が、主流であったそうだ。
もちろん、像高3メートル5センチ、台座全高2メートル余、光背の高さは5メートル15センチに及ぶ唐招提寺の盧舎那佛は、ここに書かれている通り。
大きさばかりでなく、その美しさも。

奈良時代は、いわば、日本の青春時代。日本という国を作る。仏教という先進知識を取り入れる。勢いがあった時代だ。
元気があったのであろう。乾漆仏、高価な漆をふんだんに使っている。

金堂三尊に使われていた漆、分析されていた。

脱活乾漆仏、型取った粘土の上に麻布を貼り、漆を塗っていく。
唐招提寺の盧舎那佛の場合には、麻布が12〜13枚も重ねられていた、と美術院国宝修理所の責任者は話す。それだけ漆を塗り重ねている。これでもか、というほど気合いを入れて造った仏さまなんだ。この盧舎那佛は。

その表面の断面。
赤っぽいところは、鉄分を多く含んだ赤い顔料・べんがらを漆に混ぜて塗ったところである。黒い線のように見えるところは、漆に煤を混ぜて塗ったところ。

その煤を見るため、創業4百数十年の墨の老舗、古梅園を訪ねる。
この佇まい、古い奈良の家並みだ。猿沢の池の近くだ。

煤、主には書道に使う墨を作るために作られている。

菜種油を燃やし、その炎から出る煤を取る。幻想的な光景だ。

番組の中で、古梅園を訪ねたこの男・奈良美智、この言葉に続き、こう言っていた。「力強い」、と。
少し寄り道をすれば、奈良美智、ここ10数年の間に世界的なアーティストになった。同年代の村上隆と共に。村上隆の動に対し、静。村上の拡散に対し、集積。村上の俗に対し、聖。村上隆の才能は認めつつも、今ひとつ好きになれない私、奈良美智が好きだ。いや、彼の作品が。

麻布に塗る漆に混ぜる煤を取るこういう光景、とても美しい。

そうなんだ。

だから、このような魅力にあふれたお顔ができたのだ。