ジャズ・エイジ。

第一次世界大戦が終わった後の世界、アメリカの時代となる。
”暗黒の木曜日”・1929年10月24日、ウォール街の大暴落が始まるまでの1920年代、アメリカの時代である。面白い時代だ。”狂瀾・狂騒の20年代”、”ローリング20’s(トゥエンティーズ)”の時代である。アメリカン・ヒーローが次々に現れる。
指差したスタンドにホームランを叩きこんだベーブ・ルース、ヘヴィー級チャンプのジャック・デンプシー、”翼よあれがパリの灯だ”のチャールズ・リンドバーグ。暗黒街の帝王・アル・カポネも、忘れるわけにはいかない。
さらにこの時期、これも忘れるわけにはいかないアメリカ人が、パリにいる。女親分・ガートルード・スタインのサロンには、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルド、ドス・パソス、といった、”パリは、いつも移動祝祭日だ”という日々を送る「パリのアメリカ人」がいる。
1920年代、たしかに、アメリカの、アメリカ人の時代なんだ。この20年代を”ジャズ・エイジ”、という。名付け親は、スコット・フィッツジェラルド。そして、日本に、このジャズ・エイジ、20年代研究のオーソリティーがいる。常盤新平である。
常盤新平、直木賞作家であり、それ以前に、素晴らしい翻訳家である。著書、訳書は多い。しかし、アメリカ、特にニューヨークに対する思い入れは、筋金入り。
日本が戦争に負けた時には、中学生だったそうだ。田舎(岩手県)育ちだから、都会が、町が好きだ、という。初めて買ったアメリカ雑誌は「ライフ」。アメリカやニューヨークが好きになっちゃった世代だ。
その常盤新平の『はじまりはジャズ・エイジ』(昭和54年、講談社刊)には、面白い話が詰まっている。
<ここに収めたものは、英語でいうと、アーティクルである。エッセーというには気恥しいし、読物というには面白くないし、論文というには杜撰で、つまりアーティクルといってしまえば、聞こえがいい>、なんてことを書いている。
ところがドッコイ、”何とおっしゃるトキワさん”だ。とても面白い。
もちろん、小説や雑誌(今日、彼の書を探していたら、『アメリカン・マガジンの世紀』なんて全巻すべて雑誌の紹介、という本も出てきた)がらみの話が多い。で、面白いなこれは、というところを拾ってみる。
<ジャズ・エイジは金のいっぱいはいったガソリン・スタンドがあって、自らの力で走った。・・・・・金がなくなっても、金の心配はいらなかった。まわりが豊かだったからである>。
これは、常盤新平が、フィッツジェラルドの文章を引用したもの。だから、私は、孫引きとなる。しかし、20年代のアメリカをよく表わしている。
<お金がなくなると、・・・・・彼(ヘミングウェイ)はリッツ(ホテル)のバーテンダーから100フラン借りて、そのお金をチップとしてバーテンダーにわたし、こう約束したのです。「借金は来週返すよ」と>。
これは、「ニューヨーカー」にパリ通信を書いていた、やはり、「パリのアメリカ人」であるジャネット・フラナーの言葉。ということは、またこれも、孫引きということになるのかな。でも、さすがヘミングウェイ、カッコいいじゃないか。
<生意気なようであるが、私はアメリカの小説のベストセラーをハードカバーで買って読んだことがほとんどない。実をいえば、そこまでお金がまわらないのである>。
これは、常盤新平自身の言葉。昨日のJ・J氏・植草甚一も、買うのはほとんど古本のペーパーバックや雑誌。万の数の書を読みこなす人は、そうなるよ。そうでなくっちゃ、とも言える。もっとも、常盤新平、その後直木賞を取り、上梓書も多くなっているので、今もそうかは解からないが。でも、やはり、そうだと思う。
<グッチョーネも広告コピーで書いている。「ペントハウス」は「プレイボーイ」が諦めたところから出発すると。「プレイボーイ」が何を諦めたのかといえば、・・・・・>、という個所もある。
グッチョーネという男は、「ペントハウス」の創業者。発行人兼編集長でもある。この”「プレイボーイ」が諦めたところから出発する”が、どういうことを指しているかは、男には解かるだろう。
40年ぐらい前、初めてハワイへ行った。金のない私は、何ひとつ買ってこなかった。だが、ひとつだけ買ってきたものがある。何冊かの「ペントハウス」である。「プレイボーイ」にはない写真が載っていたからである。当時の日本では、ご法度であった写真が。
その後、何度もハワイやアメリカ本土に行くようになった。初めの内は、やはり「ペントハウス」を買ってきた。若いヤツにやったら、とても喜ばれたからである。その内、私も年を取り、「ペントハウス」を手に取ることをしなくなった。若いヤツにも、さほど喜ばれなくなったし。酔いにまかせて、バカなことを書いてるな、オレも。遥か昔のことだ。まあ、いいか。
そんなことより、ベーブ・ルースのお葬式の話に移ろう。
ベーブ・ルース、酒好き、女好き、金には無頓着、で有名だったそうだ。ともかくアメリカ人、驚くほど、ベーブ・ルースが大好きなんだ。そのベーブ・ルースのお葬式の日は、おそろしく暑かったそうだが・・・・・
<ルースのお棺をかついだのは、ヤンキースのかっての僚友たちである。ルースの全盛時代に3塁手をつとめたジョー・デュガンもその一人だった。「冷えたビールが飲めるんなら、おれはこんな右腕くれてやるよ」 デュガンがそうつぶやくと、いっしょにお棺をかついでいた元投手のウェート・ホイットが小声で言った。「ジョー、ベーブだってそう思ってるさ」>、と。
ベーブ・ルースがらみの面白い話は、まだまだ出ているが、ほんと、アメリカ人に愛された男だったようだ。ベーブ・ルースという男は。
眠くなった。先を急ぐ。
アメリカで禁酒法が制定されるのは、1920年1月16日である。だから、この日から、1929年10月24日のウォール街の大暴落までが、正確に言えば、”狂瀾・狂騒の20年代”であり、”ジャズ・エイジ”である。
この時代のトリックスター、いや、スーパースターのひとり、アル・カポネの話で、今日は終わりとしよう。実は、常盤新平、マフィアの研究者でもある。
<「私はビジネスマンだ」とカポネは言っていた。シカゴ暗黒街で暴れまわるギャングの親玉が何をいうかと思うのは、1920年代という時代があまりにも遠くなってしまった結果である。私はそう思っている>、と常盤新平は、記している。
<しかし、禁酒法はあったけれども、あの時代にはいまよりもっと自由があったように思う。アメリカ文学の傑作もこの時代に出ている。ヘミングウェイもフォークナーもドス・パソスもみんな若かった>、とも。
<「ジャズ・エイジ」、「すばらしきナンセンスの時代」と呼ばれる「狂瀾の1920年代」も私には昨日のことのように思われる。それはまだ私が生れていない時代だったけれども、なぜか懐かしい気がする>、という常盤新平の言葉も出てくる。
常盤新平、来年80になる。