大仏さまにまつわるお宝。

東博へ。「東大寺大仏 天平の至宝展」を観る。
友人ふたりと博物館前で待ち合わせる。昼過ぎの上野公園、キリスト教の団体が、炊き出しをやっており、多くの人が並んでいた。宗派は解からぬが、施しをする側の人、讃美歌を歌い、説教も。

”東大寺大仏”とは謳っているが、大仏さまを持ってくるくるわけにはいかない。サブタイトルに”天平の至宝”と付けてはいるが、メーンのタイトル”東大寺大仏”は、やや大袈裟であろう。メーンとサブを入れ替え、「天平の至宝 東大寺大仏にまつわる」とした方が相応しい。
しかし、そうはいっても、展覧会、面白かった。

今回の目玉は、これのようだ。
右は、大仏殿の前に立つ「八角灯籠」。
高さ、4.6メートルある。東大寺、戦火にもあっているが、奈良時代、8世紀の造立当初からのものであり、東大寺の外へ出すのは初めてのことだそうだ。もちろん、国宝。火袋羽目板の像は、音声菩薩。
大仏殿の前にあると、ただの灯籠と見てしまうが、大仏殿の前を離れ、これのみ1点を眺めれば、その存在感、弥増す。
左は、ご存じ「誕生釈迦仏立像及び灌仏盤」。
釈迦誕生仏は、数多い。概ね小さいが、少し大袈裟に言えば、それこそ腐るほどある。その中で、東大寺のこの誕生仏は、像高47センチ、大きい。また、灌仏盤側面の彫刻が美しい。これも、もちろん、国宝となっている。
実は、私は以前から、誕生仏の美しさが解からない。はっきり言えば、美しいとは思えない。
加えて言えば、”天上天下唯我独尊”というお釈迦さまの言葉も、理解しかねている。生れ落ちた子供が、そんな言葉を言うわけがない、ということではない。お釈迦さまだから、”オギャー”でなくて、通常の言葉を発しても、それはそれでいい。しかし、”天上天下唯我独尊”という言葉自体、お釈迦さまの言葉とは、どうも思えない。
それだから余計に、誕生仏が美しく、また、ありがたく思えないのであろう。
法華堂(三月堂)の「不空羂索観音菩薩」の”光背”が展示されていた。「不空羂索観音菩薩立像」はなく、その光背のみ。光背のみでも、素晴らしいものではある。しかし、やはり、ウーンという感じは否めない。
その代わりでもあるまいが、法華堂(三月堂)の「不空羂索観音」の後ろに安置されているという、デンとした弥勒菩薩、「試みの大仏」が出展されていた。この仏像、像高3〜40センチの小さい坐像だが、とても存在感のある仏さま。今年初め、1月の「日本遺産の補遺(仏像)」の時にも書いたが、私の好きな仏像のひとつだ。
聖武天皇(光明皇后の強力な後押しがあったのだが)が、大仏建立を発願するのは、天平15年(西暦743年)。天平17年都を平城京に戻し、金光明寺に大仏を造ることにする。
東大寺と言う名が、歴史に登場するのは、大仏の鋳造が始まった直後、天平19年(西暦747年)だという。それまでは、”金光明四天王護国之寺”と言われていたそうだ。この寺の名を刻んだ”西大門勅額”があった。このこと、私は、初めて知った。
天平勝宝4年(西暦752年)の”大仏開眼供養会”には、インドの僧や中国からの僧も参加したという。まさに、大国家プロジェクトであった。
しかし、考えてみるに、大仏さま(盧舎那佛)の光が、すべての人々を照らし、平和な国家を作りたい、と考えていた聖武天皇と光明皇后の思いは思いとして、その造立に駆り出された一般庶民の思いは、いかばかりだったか、ということも考えてしまう。仏像好き、東大寺好きな身ではあるが。
なお、聖武天皇はさておき、光明皇后という人は、凄い人物である。日本の歴史上、ケタ外れに、傑出した女傑である。7月初めに奈良の寺を何日か廻った時にも、彼女のことは書いているので、お時間のおありの方は、そのあたりのブログもご覧ください。

5時ごろ平成館を出たら、外はもう暗くなっていた。
少し歩いていると、平成館と本館の間に、東京スカイツリーが小さく見えた。たしか、今月初めには、500メートルを突破したというニュースが流れていたような気がする。灯が入っていた。
友人と3人、上野で飲み、その後新宿ゴールデン街「十月」へ行った。犬飼三千子の作品展を観に。犬飼三千子、大分待ちくたびれた様子であった。東京スカイツリーの写真も載せたので、犬飼の今回の作品もひとつだけ載せておく。
この作品、面白い。
暫く前、蒼井優のテレビ番組のセットに犬飼の作品が使われた時、犬飼は、年間4〜5回か、あるいはもっと作品発表をしている、と書いたが、今日聞くと、今年は、30回ぐらい展覧会をしたそうだ。今日のような小規模のものや、韓国や中国での発表も含め。
どのような形態であれ、年間30回も作品を発表している絵描きなど、初めて聞いた。
大仏さまとは、ずれてきたが。