奈良小散歩(2) 法華堂から二月堂。

奈良へ行くことはあっても、東大寺へ行くことは少なくなっっていた。
前回東大寺へ行ったのは、聖武天皇の1250年御遠忌法要が営まれていた時だったから7〜8年ぶりである。大仏殿前で、散華の花弁を何枚か拾った。

法華堂や二月堂へ行くのも久しぶり。
この赤丸のところ、大仏殿東側の回廊の途中から右へ折れる。

緩やかな石段を登る。

すぐに国宝の鐘楼が見えてくる。

重さ26.3トンの梵鐘も国宝である。
奈良時代、東大寺創建当初のもの。”奈良太郎”である。

そのすぐ近くの行基堂。
方一間、つまり一間四方の何とも可愛らしいお堂。

四月堂への石段の上にはシカが。
登らなかった。シカがいたためではない。余計な登りは避けたかった故。

目指す法華堂へは、まだこのような石段があるのだから。

その石段を上がるとここへ出る。
右は法華堂、左は二月堂。
ジイさん5人組が三脚を立て記念写真を撮っていた。

すぐそばに法華堂経庫がある。
奈良時代の校倉。重文である。

国宝、法華堂、三月堂である。
寺伝では、天平5年(733年)の創建。

この中に、不空羂索観音像がおわす。
不空羂索観音像、さまざまな不空羂索観音がある。10年ほど前になろうか、興福寺南円堂の不空羂索観音のご開帳がある、是非見に行くように、と知り合いから言われ見に行った。法華堂の不空羂索観音像を知る者にとっては、興福寺南円堂の不空羂索観音像、失礼の段、重々お詫び申しあげます、というものであった。
興福寺南円堂の不空羂索観音は坐像である。東大寺法華堂の不空羂索観音は立象である。坐像、立象、という違いばかりでなく、法華堂の不空羂索観音の素晴らしさは圧倒的である。
あたりを祓う素晴らしさ。

法華堂の庇を通し二月堂を見る。

すぐ目の前の石段を上がり二月堂へ。

二月堂、もちろん国宝。

天平勝宝四年、という文字がある。

二月堂の回廊から下の方を見る。
大仏殿の屋根が見える。その先には奈良の街並みが。
それより、この回廊が3月1日から14日にかけて行なわれる”修ニ会”、”お水取り”の主舞台である。

二月堂のすぐ側には、湯茶の無料接待所がある。

明治2年(1869)製造の現役の湯釜。

二月堂のお水取り、回廊を駆け抜ける松明はこれ。
右は通常の松明。長さ6〜8メートル、重量40キログラム。左は籠松明。長さ8メートル、重量70キログラム。杉板や飾り葉を多くつけている。

お水取りの時の松明の杉葉の燃え差し。どうぞお持ちください、ということ。
小さなものを少し頂戴した。
燃え差しであるから、匂いが強い。焼けた匂いが。
学生時代を奈良で過ごしたお袋の小さな仏壇に入れた。