旬は過ぎたが、枯淡の美だ。

昨日、「天平の至宝展」を観に行った時、東博の庭園も見てきた。
常の年には、11月末で終わるのだが、今年の東博、”秋の庭園開放”を今週一杯やっている。去年は、11月下旬に見に行った。紅葉、美しかった。今年は、去年より10日ばかり晩かった。紅葉はしていたが、やはり、盛りは過ぎていた。
色鮮やかな紅葉は、美しい。しかし、旬は過ぎて色褪せた紅葉も、それはそれで美しい。枯れた美しさがある。
本館の横から、裏の庭園に入る。
入ってすぐのところ。「オッ、紅葉してるじゃないか」。

このあたりも。後ろに薄く見えるのは、本館。

たしかに、紅葉も黄葉も盛りは過ぎている。だが、十分美しい。枯れた美だ。

ドウダンツツジの紅葉は、最盛時には真っ赤に染まる、という。この株は、それにはほど遠く、色褪せている。
しかし、旬は過ぎ、色褪せてはいるが、何とも言えぬ味が出ている。こういうのを、枯淡の美と言ってはいけないのかな。

一緒に行った古い友だちのHは、動植物に詳しい。「これは、”目薬の木”だ」、と言った。
近寄ると、たしかに、”メグスリノキ”という札が掛けてある。カエデの仲間。この木の樹皮を煎じて、洗眼に用いていたそうだ。
日本の固有種で、雌雄異株、とも書いてあった。

やはりカエデの仲間のイロハモミジ。
十分に美しく見える。だが、Hは、「いや、盛りは過ぎてるな」と言う。
で、紅葉どころか、落ち葉も美しい、というものを何枚か載せよう。

これは、イチョウ。

これは、メグスリノキの落ち葉。
淡く風情がある、と感じるのは、私だけなんだろうか。

これは、イロハモミジの落ち葉。
2〜3枚拾ったら、カサカサで今にも崩れてしまいそうだった。でも、美しい。干からびた美しさ、とも言える。
干からびた美しさ、何も木に限ったことではない。人間だって同じこと。皺くちゃのジイさんバアさんだって、美しい人は、いくらでもいる。
アレレ、いつの間にか、枯淡の美から、干からびた美しさに変わってしまったが。

そういえば、池の近くの木の下をカルガモが歩いていた。親子かどうかは、解からぬが。
彼らは、”枯淡の美”とも、”干からびた美しさ”とも、まったく関わりのない、”今を盛りの”、という様子であった。