レフト・アローン。

ただ1曲だけを、ということならば、そうはならないだろうが、仮に、あなたの好きなジャズを5曲あげてほしい、というアンケートをしたとしよう。最も多くの票を集めるのは、おそらく、「レフト・アローン」ではなかろうか。
それほどにこの曲、日本人好みである。
マル・ウォルドロンの押し殺したようなピアノのイントロに、ジャッキー・マクリーンのアルトサックスがグルーミーに入ってくる。この出だし10数秒で、多くの日本人、ンンンーン、と魂を抜かれてしまう。
だから、多くの小説家、この曲をその作品に登場させている。中には、やや恥ずかしげな思いが感じられるものもある。しかし、それは、単にそう装っているだけだ。
先月末、「リュウ」で触れた村上龍もそうだ。
デビュー作の『限りなく透明に近いブルー』、さまざまなジャズが出てくるが、その曲に意味合いを持たせているのは、「レフト・アローン」ぐらいではなかったか。
<何よそのレコード、またしけたピアノ聞きたがるわねぇ、まるで疲れきった老いぼれじゃないのよ、それ黒人の浪花節よ>、とドラッグとセックスの日常を送る女の子に言わせている。やや恥ずかしげに、「そうは言っても、オレこの曲好きなんだよな」、と思う村上龍の心の内、覗けるような気がしないでもない。
今月初め、その村上龍が、この作品で芥川賞を取ったすぐ後、中上健次と対談した『ジャズと爆弾』について触れた。
その冒頭、中上健次が、「お前、レフト・アローンを出してたな、やっぱり」、とやや揶揄した口調で村上龍に話している。その中上の”やっぱり”というやや揶揄した口調からして、中上自身も、やはり、この曲に対して思い入れがあることを物語っている、ということができる。
ジャズがらみの小説を多く書いている五木寛之の作品には、「レフト・アローン」、もちろん出てくる。
『海を見ていたジョニー』は、トランペットを吹きながら、姉と二人でスナックバーをやっている、ジュンイチという少年と黒人兵・ジョニーとの物語。ある夜、店で喧嘩が始まる。ひとりは、元ミドル級の世界ランカーのプロ・ボクサー。蜘蛛(スパイダー)・ハーマンというイタリー系の白人だ。相手は、ジュンイチの姉のヒモのどうしようもない男。これも白人。勝負は、明らか。
とその時、ばかデカイ黒人が店に入ってくる。ジョニーだ。長くなるので、途中は端折る。
<ジョニーは少年にちょっと片手をあげると、奥のピアノの所へ行った。そして、何とも無造作に「レフト・アローン」を弾きだした>、とくるんだ。この”奥のピアノの所に行った”、という所で、五木の読者の多くは、彼がどんな曲を弾くのかは解かるよ。「レフト・アローン」以外ない。
喧嘩は、収まる。何故か。その少し後にこう書かれている。
<少年はその晩、ジョニーについて、二つの事を知った。一つは、彼が天才ボクサーと言われながらも、途中でジャズメンに転向したミュージシャンであること。もう一つは、彼が蜘蛛(スパイダー)のハーマンを、KOで破ったただ一人のボクサーであった事である>、と。
何と何と、五木寛之らしい派手な設定だ。「レフト・アローン」は、予定調和で出てくるし。
もちろん、一昨日触れた、筒井康隆の『ジャズ小説』にも、「レフト・アローン」は出てくる。
ジャズクラブのバーテンダーを描いた、『はかない望み』という作品に。
<その女が店に入ってきたのは、バンドが・・・・・「ミラージュ」をやっている時だった>、で始まり、<ミュージック・テープは彼女が最初店にやってきた時・・・・・あの名曲「ミラージュ」をやっていた。おれは思い出した。「ミラージュ」には、「蜃気楼」とか「かげろう」とか以外に、「はかない望み」という意味もあったのだ>、で終わる。
「ミラージュ」は、マル・ウォルドロンの作った曲。そこで、筒井康隆、巻末付録のディスク情報で、「レフト・アローン」にも言及している。マル・ウォルドロンについては、<美しいメロディーを作らせたらジャズ界の第一人者でしょう>、とも記している。
いずれにしろ、「レフト・アローン」、日本人には、堪えられないんだ。
そうだから、と言うべきであろう、この「レフト・アローン」を、他の誰よりも、どの作品よりも目立たせた小説がある。
栗本薫の『キャバレー』だ。「レフト・アローン」を、ど真ん中に持ってきた、と言ってもいい。
いいとこのボンボンでありながら、場末のキャバレーでサックスを吹く若い男と、ヤクザ組織の幹部の男との物語だ。
だが、眠くなった。続きは明日にする。