献血、そして眼力。

一昨日、学校へ行った時、日赤の献血車が来ていた。
この赤十字の車の向うの校舎の中で、献血作業が行われていた。
茶髪の学生が次々に献血している。もちろん、その横を通りすぎるヤツもいる。その方が、ずっと多い。側に立っていた係の人に、「学生たち、協力してますか」、と聞くと、「はい、協力していただいてます」、という。あちこちの学校を廻っているそうだ。しばらく見ていて、その間、献血をした何人かの学生に、「エライ!」、と声をかけた。
献血には、いささか関心がある。
44〜5年前、左肺を半分ぐらい切り取った。学生時代、2度目の長期入院の時。この時も、1年半娑婆から離れた日常を送っていたが、最終的に切除手術を受けた。
まだ売血が主流であった頃だ。山谷や釜ヶ崎の、仕事にあぶれた労働者が、血を売っていた。もちろん、さまざまな問題があり、売血が禁止されるのは、60年代終わりの頃。私が手術を受けたのは、その少し前。私の為、友人たちが献血してくれた。
その時の出血量は、記憶おぼろげであるが、たしか、14〜500ccだったと思う。それだけ輸血したことになる。
20年近く前、胃を切った。2/3を切除する、ということだったが、どうも、3/4ぐらい切ったのじゃないか、と思っている。その後、毎年内視鏡の検査を受けているが、時折りモニターを見ていると、食道、胃、十二指腸、とカメラが進んで行く道、いずれもズンドウである。多少はふくらんだところがあってもよさそうだが、と思ってもそのようなところはない。
だから、2/3ではなく、3/4は取られたな、と思っているが、それは、過ぎたこと。医者には、感謝している。
それよりも、驚いたことがある。この時の手術、出血はほとんどなく、輸血もしていない、という話を後で医者から聞いた。まあ、腹を切るのだから、多少は出血もするのだろうが、驚いた。
肺を切った時も、胃を切った時も、手術時間は、同程度。2時間半か3時間程度だったような気がする。それが、24〜5年の間に、術中の出血量、極端に少なくなった。メスの進歩もあろうが、この間、止血技法、技術が、驚くほど進歩したものと思える。
そうは言っても、今でも輸血は重要であり、血液が必要なことには変わりはない。
日赤の係の人に貰った学生向けのパンフレットによれば、全国の献血者は、ここ10年で100万人も減少している、という。だから、
「少子高齢化が進む現代では、若者の献血が今まで以上に求められています」、とそこにはあり、さらに、「10代の献血者数は、全体のわずか約6%しかないのです」、とも書いてある。「私たちの行動で救える命があります」、とも。
20前後の元気あふれる学生の皆さんには、どんどん献血をしてもらいたい。中には、毎日献血してもビクともしないな、こいつは、と思われるようなヤツもいる。でも、「お前も献血しろ」、とは言わなかった。「余計なお世話だ、このジジイ」、と言われるのが落ちだから。暫くそこにいて、献血をしたいいヤツにだけ、「エライぞ」、と言っていただけ。それでも中には、へんなジジイ、という顔をしていた学生もいたが。
ここ何日かブログ休んでいた間に、今年の文化勲章と文化功労者が発表された。
安藤忠雄、三宅一生、蜷川幸雄などが、文化勲章を受けた。文化功労者には、王貞治、細江英公、吉永小百合などが。少し考えた。
文化勲章は、文化功労者に選ばれた人の中から選ばれる。早い人で6〜7年後、遅ければ10数年後に。その時、存命ならば。安藤忠雄や蜷川幸雄は、早い方。三宅一生は、遅い方。
しかし、安藤忠雄が文化勲章を受けているのに、どうして、磯崎新は、文化功労者にさえ選ばれていないのか。磯崎の方が、はるかに年上なのに。芸術性では、どっこいどころじゃない、という声もあろうに。ポピュラリティーの問題なんだ。
三宅一生が、文化勲章にまでなったのに、川久保玲や山本耀司は、文化功労者にもなってない、どうなんだ。蜷川幸雄よりも唐十郎、これは、あまりにも極私的だから措くとして。
ノーベル賞を取ったふたりの学者先生が、文化勲章に選ばれたのは、従前同様。それで、慌てて京大のiPS細胞の山中伸弥教授を、文化功労者に選んだと見える。ウッカリしていると、先にノーベル賞を取られてしまう、と。文化勲章や文化功労者の選定、どこの誰がヘゲモニーを握っているのかは知らないが、その選定、眼力が問われる。
次のノーベル賞候補は、おそらく、山中伸弥と村上春樹。早く文化功労者にしとかなきゃ、との思いがあったのであろう。村上春樹は、いい。科学の分野と違い、文学の分野は、その評価、まちまちなんだから。村上春樹は、ノーベル賞を取った後でも遅くはない。大江健三郎のように、文化勲章は受けたくない、なんてことは言わないから。
しかし、いつまで経っても、大島渚を文化功労者に選ばないのは、なんとも不思議。残念だ。
吉永小百合を文化功労者に選んで、なぜ高倉健を選ばないんだ、と思った。健さんを。ところが、既に選ばれていた。高倉健は、2006年に文化功労者に選ばれていた。やるじゃないの、選んでいる人だか役所だか。
細江英公も選ばれたが、今後、荒木経惟がどうなるか、選ばれるか否かも、興味のあるところ。それよりも、私は、このふたりをどう考えるか、と思っている。小野洋子と北野武のふたりである。
いずれも、世界のヨーコ・オノ、世界のキタノ・タケシである。このふたりを認める眼力、日本政府にありやなしや。見ものである。