こういう話も、ええなあー。

昨日の『風の盆恋歌』のような、情緒漂う道行、情趣に富んだ恋物語も、それはそれでいいのだが、肩肘張らない恋物語も捨て難い。隣り近所、どこにでもいるような、ごく普通の人たちのお話も。
今日は、ひと際暑かった。で、田辺聖子著『お聖さんの短篇 男と女』(平成9年 角川書店刊)を読んだ。清涼剤になる。
『本来さん』、『ほどらい』、『舌ざわり』、『百合と腹巻』、『夢渦巻』、『鬼が餅つく』、『このへんで・・・・・』、『ラストオーダー』、このようなタイトルの短篇が、十幾つ並んでいる。タイトルを見ただけで、田辺ワールドが始まるぞ、という気になる。
出てくる人たちも皆が皆、普通に暮らしている人ばかり。ごく普通の大学(こいつは国立大学だな、と思われるようなヤツは、一人もいない)を出て、ごく普通のサラリーマン(名の通った一流企業だな、と思われるヤツもいない)や自分で商売をやっているような人ばかり。
登場人物の年代は、男はさまざまだが、女は概ね30前後、微妙な年代。お聖さんの世界、出てくる男と女、もちろん大阪人。中には、デートというと、芦屋の住宅街のなかにひっそりとまぎれこんでいる、えぐいばかりの高級バーへ連れて行ってくれる、西宮のいいうちのぼんぼんも出てくるのだが、これは刺身のつま。概ね、アッケラカンとした、憎めない大阪の男と女の物語。
これがいいんだ。ひとつふたつ紹介しよう。とは言っても、練達の田辺聖子の文章を、私ごときが纏めるのは、不可能。で、お聖さんの文章を繋げるだけにする。
『百合と腹巻』は、こう。
男は、<ちょっとみると、その筋の人間のようにみえるらしく、夜道を歩いていて、警官に二度ばかり不審尋問をされたことがあるといっている>、という男。<しかしむろん、三杉はその筋の人間ではない。まっとうなサラリーマンである>。
しかし、この男、<大阪名物は阪神・吉本・たこ焼きや。 こんなアホらしい街で、カシコなんか張っとるやつは、食わせもん、にせもんじゃ。アホな街ではアホになって住む、これがほんまのカシコじゃ>、と言っている男でもあるんだ。
女とは、学生時代の合コンで知り合い、26からは深い仲になっている。しかし、30近くなっても、その状態変わらないんだ。女には、赤いアウディで迎えに来る会社の後輩の若い男も現れる。ええとこのぼんぼんだ。どうする、女は。
女は、警官から不審尋問を受けるような、ぼこぼことした顔の男を選ぶんだ。<彼といて、安定を感じ、自由を感じるのは守られているってことじゃないか、と私はフト思った>、と。
なお、タイトルの「百合と腹巻」の百合は、赤いアウディでデートに来た若い男が、ある日、白い百合の花束を手渡すんだ。その時に彼女、こう言うんだ。<「よかった。ちょうど晩ごはんに百合でも食べたいナーって、思ってたとこよ」>、と。これじゃ20代前半の若いぼんぼんじゃ、太刀打ちできない。
また、腹巻きは、女主人公が最終的に選んだコテコテの大阪男が、何かというと、「腹巻きせ」、ということからきている。その男、いつもおばあちゃんが編んだ腹巻きをしているんだ。この間合い、関西を知る人じゃないと、少し解かり難いだろう。
あとひとつ何か、『ラストオーダー』をいこうか。
女主人公、ある時、25の時初めて見合いをした相手とばったり会う。その時は、お互いに突っ張り、ぶっ壊した。それから8年が経っている。だがこの時も、お互いシングル。突っ張っている内に、適齢期を過ごしてしまったんだ。
<「早いとこ、売っとけばよかった。今や、元本割れもええとこや。もう二度と高値の日は来えへんかもしれん。二束三文の株券じっと抱きしめて・・・・・」、と女が言えば、<「売り抜けに失敗したんか」>、と男が言う。<「そ、そ。くらーい心境よ」>、と女は応える。何だか、今、2010年の今月今夜の私の気持ちと同じようなもの。ま、私の場合は、自己責任。誰に文句のつけようもないが。
ま、それは別の問題として、女は男と会うようになるんだ。だが、それでもお互い突っ張り合う。何だかんだ、と言いあうんだ。<「結婚せな、人間がでけへん、いう人もあるけど、人間ができりゃエエ、ってもんやない」、「そうそう」>、なんて会話を交わすんだ。
さまざまなことがあって、<輪廻婚になるかしら?>、でこの物語は終わるのだが、なあにその内、ふたりは一緒になるだろう。お互い突っ張ってはいても、生身の人間なのだから。お聖さん、田辺聖子が紡ぐ物語は面白い。単純なように見えて、深いんだ。
田辺聖子、一昨年文化勲章を受けた。その時の総理は、あの碌でもない麻生太郎。文化勲章は、文化功労章を受けた人から選ばれる。田辺聖子、2000年に、文化功労者に選ばれている。その時の総理は、森喜朗。
森にしろ、麻生にしろ、碌でもない総理大臣であったが、少しは、いいこともしたんだ。