能面展。

4日前、後藤亮子の展覧会を観に行った折り、同じ清月堂画廊の上のフロアで、能面展をやっていた。「十八界展」、となっている。
古い能面は、時折り博物館や美術館で観ることがあるが、このような画廊で能面展とは珍しいなと思い、後藤の会場を抜け、覗きに行った。静かな会場、お年を召した方が、何人かいる。「写真を撮ってもいいですか」、と聞くと、中年の男が「どうぞ」、と言う。この人が主宰者の岸本雅之さんだった。
岸本さんが主宰する「十八界彫刻教室」で、面を打っておられる方の展覧会。年に一度、開いている、という。趣き深く、美しい。何枚か写真を撮らせていただいた。
「教室には、幾つくらいの方が」、と聞くと、「30代から80代の方まで、最年長の方は86歳です」、とのこと。「ひとつ打つには、どのくらいの期間が」、には、「それはさまざまです。年に2〜3面打つ方もいれば、年に一作の方も」、とのこと。素材は、檜(桧)だという。
それでだ。岸本さんの教室の名、「十八界」とは面白い名だな、と思っていたら、ふたつの意味がある。
ひとつは、仏教用語の十八界(六根、六境、六識をあわせたもの)、そして、もうひとつは、素材の桧の字を分解したもの。偏の木は、十と八、旁は、会。へんとつくりで、十八会となる。つまり、心と物質を表わしている、という。通常の絵の世界などとは異なり、面を打つ世界の名称、さすが深遠。
それはともかく、何点か、その作品を載せてみよう。
なお、個々の作品の説明は、会場でいただいた説明書きからの抜粋である。

「若女」。「十八界」の主宰者・岸本雅之さんの作品。
小面よりほんの少し年齢の高い女性。小面の可憐さと増女の品位と理性とを併せ持つ。孫次郎、節木増と共に代表的な女面。

「山姥」。やはり、岸本さんの作品。
山に棲むむ鬼女、山を駆け巡る妖精である。強さと凄さの上に霊気がただよう。眼に金具をはめ超自然的存在。

金沢四郎作「増女」。
端正で気品のある表情、女神や天女など高貴な女面。

宮本千春作「節木増」。
節のある素材を使用したため、脂が表面ににじみ出、それがチャームポイントとなり、「節木増」という型になった。

木皿真司作「童子」。
少年の相貌。永遠の若さを象徴する神仙の化身。優雅で神秘性が感じられる。

石関一夫作「弱法師」。
家を追われて盲目となった「弱法師」専用面。

二瓶直由作「三光尉」。
創作者、三光坊の名を取ったといわれる。皺の彫が深い。庶民の老人に用いる。

高橋信子作「痩男」。
生類殺生など前世の業を悔い冥土から出現する幽霊。地獄の呵責に苦しむ相貌。

安達幸詔作「猩猩」。
中国の説話に登場する酒好きの妖精。赤味がかった彩色と、目元、口元に笑みを浮かべた特殊な面で「猩猩」に用いる。
この他にも、多くの方が、多くの作品を出展されていたのであるが、その一部しか撮らなかった。ご紹介できなかった方には、ゴメンナサイ。
なお、主宰者の岸本さんの話によれば、顔料は日本画の顔料を使い、古色もつける、という。また、裏面には、漆を塗るそうだ。「そうだ。お見せしましょう」、と言って、別室からお面を持ってきてくれた。

これは、般若の面の裏側。漆が塗られている。
目や鼻の穴など、刳り抜かれているところは、演じる際、そこから汗が出ないように、つまり、汗が内部に流れるように彫られている、とも言っていた。本来、能面は、能舞台で、能役者がつけて演じるもの。そのような工夫も必要なんだ。
お能の舞台は、遥かな昔、松涛の観世の能楽堂で、二度観たことがある。何を観たのか、演目などまったく憶えていない。しかし、一度は、途中でウツラウツラとしていた憶えはある。テレビでも、たまに観ることがあるが、やはり、途中で辛抱できなくなる。古典の素養がない、ということもあるが、私の精神、高尚ではないんだな、きっと。だが、能面は、美しい。

冒頭の、岸本雅之さんの「若女」を斜めから見たもの。美しい、という以外、言葉がない。